Wikiとノートでも書いた事だが、もうちょっとWiki以外も含めて。
現状はサブWikiとPngNoteのノートの組み合わせで講義のノートを取っている。 その辺について思う事など。
なお、自分が実際に取っている講義ノートの例としては705xなどがある。Home - Biochemistry 705x
講義ノートでは、講義がどんどん進んでいってしまうので、 あまり考え込んだりせずにどんどんノートを取れる必要がある。
PngNoteのノートは全く頭を使わずにホワイトボードを丸写しする事が出来るので、 何も頭を使わずにノートをとる事は出来る。 もちろん丸写しならノートをわざわざ書く意義は薄いのでそのままは書かないのだが。 でもノートを作るのに掛ける手間を調整出来る、つまり必要になれば手を抜いて丸写しに出来る、 というのは、講義ノートを取る時に必要な事に思う。
サブWikiがグローバルなWikiに比べて優れている所も、素早くノートを取れるという点。 例えば「pHとバッファ」というUnitについての一連の動画のノートを取る時に、 「pHとバッファ」というこのコースにローカルなWikiNameを自由に使える。 それが考える時間を減らして素早くノートを取る事を可能にしている。
あまり考えずにノートを取れる、というのは、明らかにデメリットにも見える。 考えてノートを作る方が良いんじゃないか? そっちの方が頭にも残るだろうし、後で使いやすいものになるだろう。
でも実際に講義のノートを取ってみると、講義はバンバン進むので、考えてノートを作っていると続かない事が分かる。 ノートを取るのをあまり面倒にすると、ノートを取る事自体が続かない。 講義を受けてノートをとるだけでも結構大変なのだ。さらにノートを取る事の難度を上げてしまうと、 講義自体受けたくなくなってしまう。
オンライン講義などでは完全にリアルタイムにする必要は無くて、一旦動画を見た後にあとから動画を見直しつつノートを取る事は出来る。 だが、複数の動画を見てから考えてノートを作る、はうまく行きそうも無い。 複数の動画を見直すとか面倒すぎてとてもやれない。 せいぜい一つの動画くらいがやる気になる限界の範囲と思う。
ノートを取る方法を考える時に、脳内で考えれば良いと思える方法は、だいたいこの「ノートを取るのが面倒だと続かない」という問題を軽視している気がする。 動画を見ながらノートを取るだけでも面倒なのだ。さらにそれを面倒にした時に本当にそれが出来るのかは怪しい。
実際動画の講義を見つつノートをほとんど取らないというのは良くある事だ。 良くないと言われているのは知っているが、でも面倒なのでノートを取らないのは良くある。 そうなってしまわないように、講義のノートをとるコストはなるべく下げないといけない。 コストをあげる側に考えてしまうのはいかにも机上の空論に思う。
思えば高校とか大学の講義のノートはその場でリアルタイムに取っていた。 人によっては後から再度ノートをまとめたりしていただろう。
高校のノート的な事から考えると、理想的には講義ノートを取ったあとに、時間を取って考えたノートを再構成する方が良いようにも思う。 実際本のノートなどはこういう、本を読んだ時にノートをとり、あとからそれら複数の本のノートをまとめたノートを作るというような事を推奨しているのはちょくちょく見かける。
たぶんそっちの方がいいんだろうなぁ、と思いつつ、一方でそんな事が続けられるのか?というのは疑問でもある。 大変過ぎるという事で。
講義ごとにWikiを分ける、というのはメリット・デメリットがある。 例えばBiologyのIntroとBiochemistryの講義では、明らかに同じトピックについての話がある。 これらの話は関連していて、片方がもう片方をより深めた内容になっていたりする。 それはさらに大学生物学の教科書にも同じ話があったりする。
また、Biochemistryと生物の他の分野は明らかに関連もあり、そうした事はすべてをグローバルなWikiでやっていれば自然と関連づいて行きそうであり、 入門から応用のコースに進むと自然とノートが充実していって、しかも構造もしっかりしていき良さそうでもある。 だから講義ノートごとにWikiを分けずにグローバルなWikiに書いていく方が良い事は多い。
でも、実際に講義ノートを取ってみると、グローバルなWikiにやっていくのはなかなか厳しい。 例えば「pHとバッファ」という一連の動画のUnitがあった時に、その講義ローカルなノートなら何も考えずに「pHとバッファ」というWikiNameを作れる。 でもグローバルなノートの場合は「pH」というWikiNameと「バッファ」というWIkiNameに分けて、 さらにそれらの相互の関係をいい感じにどこかに記述していく必要があるだろう。 というのは「pHとバッファ」という講義はある側面からこの2つの事について語るのだけれど、 その側面は他の講義のこれらの扱いとは違うからだ。 そしてグローバルなWikiによるノートでは、 そうした関係をもっと大きな関係の中に位置づけていく必要がある。
実際それはやった方が良いと思うのだけれど、ノートを作る都度いちいちそういう事を考えて、 今の動画のノートをどこに書いたらいいかを考えていくのは厳しい。 やはりまずはその講義にべったりのノートを作るのがせいぜいに思う。
理想的にはそれらの講義ノートを作った後に、改めて時間を取ってグローバルなWikiにその内容を消化していくのが良いとは思う。 でもそんな事をやれるかはちょっと自信無いなぁ。やれば出来るかもしれないが。
後からまとめる面倒さを思えば最初から講義のノートをグローバルのWikiでやっていく方が良いようにも思えるのだが、 講義のノートを取る面倒さを増すのは先述のように、明らかに講義のノートを取らなくなる未来が見えている。 やるならまずサブWikiで講義ごとのノートを取った後にグローバルなWikiにあとからまとめる事だよなぁ。
例えば最初からグローバルなWikiで、なんか講義のprefixをつけて講義用のノートをグローバルなWikiにそのまま作っていって、 後からそれを編集していく、というのは考えられるし、そっちの方が後からまとめる時には良い気もする。 でも、prefixをつける、というのは明らかにノートを取るのも見直すのも面倒にしている。 コストをあげる側のアイデアはやはり机上の空論という気がする。 まず講義ノートが実際にとられる事を重視すべきで、面倒で取らなくなってしまう方向に倒すのは良くない。 さらに後から整理しないと価値が下がるのもいまいちだ。 整理しないで次に興味が移るのも良くある話な訳で。
現状はPngNoteとサブWikiを併用している。 グラフとか構造式とかが良く出てくる時など、 テキストデータに向かない回はPngNoteで書いている。
逆に英単語を調べた時とか他へのリンクを貼りたい時、テキストのメモに向いた内容の時はサブWikiに書いている。 サブWikiの方が構造を持っているので後から見直しやすい。 PngNoteはページがフラットに並ぶので、見直すのに面倒さがある。 目的のページにたどり着くのも大変だ。 Wikiにノートが書ければ編集も簡単で見直しやすい。 文字も小さくて見やすいから一度に目に入る情報量も多い。
一方でPngNoteのノートが一番頭を使わずにいつでも取れる。 途中までサブWikiにノートを作ってたが、途中からテキストに向かない内容になってきたらPngNoteに移ったりする回もたまにある。 最初からPngNoteで全部ノートを書くのが一番頭を使わないし、ノートをとる時の気分も良い。 だが後からの有用さは落ちるんだよなぁ。
併用しているといまいちな事として、どちらか片方を見ても講義の全体が分からない事がある。 両方を並べて行ったり来たりしないと全体像が分からない。 これは凄いいまいちな気がしていて、なんとかWikiからPngNoteのノートにリンク貼ったりしてまとめられないかなぁ、と思っているが出来ていない。 やはり手書きノートとWikiの融合は次のテーマな気がする、特に面倒にしない範囲で出来るような。
併用しているといまいちな事のもう一つに、どっちにノートするか迷うというのがある。 動画を見終わった後にはどちらが良いか判断出来るので困らないのだけれど、 見ながらノート取る時にはどっちにすべきかちょっと悩む。 この悩みはノートを取るコストをわずかだが上げているので良くないと思う。 いつもPngNoteと割り切ってしまえばこのコストは消せるし、そっちの方がいいのかもしれないが…
とりあえずPngNoteの特定のページにリンクを貼れるようにしてみた>GithubPagesGallery
講義ノートを取るコストを下げていく事を考えると、モードの切り替えが必要な事は出来ない気がしている。 TeFWikiとPngNoteを併用する辛さはこの切り替えにある。
また、テキストも変にフォーマットとかするからスマホとかでぽちぽち出来なくなってしまっているし、 そうした作業はノートを取るのを大変にしているから、無い方が良いと思う。
そうして突き詰めて考えると、結局は
のどちらかしか無いんじゃないか。 これは後から見直すのは大変なので、こうやってノートを取った後に編集するフェーズを設けるしか無いんじゃないかなぁ。 リアルタイムに取るのを ノートメモと呼ぶ事にしよう。
ノートメモの編集はノートメモを取るのに比べればそこまで辛い作業でも無い気はする。 ただ該当する動画の場所探したりするのはかったるい事もあるんだよな。 ノートメモだけでノートが作れるならそんなに大変でも無いんだが。
ノートメモからノートを作るのは復習という概念にもなっている気がする。ノートづくりが復習になるのと同じ話だな。
結局はここが一番重要で、今の所は全て手書きで統一が一番ラクじゃないか、と思っている。 リアルタイムのノート取りのコストだけに絞った場合、 手書きの欠点は
に尽きる。
一見すると文字列はキーボードでタイプして図は手で描けばいいのでは? という気もするし、ほとんどのノート取りアプリは画像とテキストを切り替えて入力出来るようになっているが、 これは全部手書きよりも遥かに大変なのは少し試せば分かる。 手書きの時はキーボードが要らず画面を持てる必要があり、文字をタイプする時はペンがいらず画面をどこかに置く必要がある、 という事で切り替えが非常にコストが高く、使い物にならない。 これらのノートアプリの利点は後からの整理が不要なだけであって、リアルタイムのノート取りを楽にする機能では無い。
では全部手書きしか無いか?というのは自信の持てない所で、 例えばテキストとGyazoの組み合わせみたいなのも有りかもしれない。
全部手書きを少し試してみて、どのくらい大変かを見てみたい気はするな。
ぼくのかんがえた最強の講義ノートが本当に最強かを考えるために、実験として
という感じにしてみた。後者はテキストと画像の統合という点ではいまいちだが、手間はかからない。専用アプリも要らないし。
実際に作ったノートは以下のPart 2。Home - CellBiology706x
やはりこの手のものは実際に試してどうだったか、が一番大切だよな。
で、やってみた感想としては、あとからノートをまとめるのは思ったよりもかったるい。 ぼくのかんがえた最強の講義ノートでは「あとからノートをまとめるのはそれほど大変じゃない」と書いたが、 やってみると思ったよりもかったるかった。 一週間が終わった段階でまとめようとしたが途中で飽きてしまう。これはサステイナブルじゃないかもしれない。
ただ、試験の前や試験を受けながらまとめていくのは可能だった。 結局試験の時には見直しは必要だし、また試験の問題を解く時にノートに残すべき事を残していなかったり、 誤解していたりという事にも気づいて、ノートの質が上がる。 問題を解くという必要性があれば、あとからまとめるかったるさはだいぶ軽減される。
逆を言うと試験の無い講義や本ではこの手法は使いづらいかもしれない。 ただ試験がある方が理解は深まるし教材としては優れているよなぁ。
少しバッチノートに書く。