昔、斎藤誠先生がおすすめしていて気になっていた本。【書籍】人口大逆転でGoodhardもオススメしていたので、読んでみる。
飛行機の中で読み始め。なかなか良さそう。 【書籍】社会学史とも通じるものを感じる。なんかこういう教養ってあるよなぁ。
昨日読み終わった。間があいていた気もしていたが、2ヶ月くらいで読み終わっているので、まぁこんなものか、という気もする。
個人の自由を重視した時に、そうした自由を侵害することが妥当な時はどういうことか、 さらに言えば政府が個人の自由に制限を加える妥当なケースやその根拠はなんなのか、という話。
ところどころにいまいち同意出来ないような部分があるのだけれど、 本書の価値はそうした個々の話というよりは、自由ということについて一冊の本になるくらいに自分の考えを述べている、ということにある気がする。 我々も自由について自分がどう思っているのか、ということを、このようにたくさん書くべきなのではないか、という気分になった。 また、自分はどういう社会を望ましいと思っているのか、などについても、もっと皆がそれぞれ自分の考えを述べるべきなんじゃないかなぁ、と思った。
また、全体の話のベースとなる所は、現代でも普通に共感出来るような前提なので、 その応用などの話が同意しがたい部分があっても、基礎的な所を理解するための応用例として見ていく価値は現代でも普通にあるので、 読むモチベーションは最後まで保てたし、読む意義はあると思えた。 「なるほど、自由を守るとはこういうことか」という気分になり、理解は深まったように思う。
2章は「思想や討論の自由」というタイトルがついていて、いちごBBSなどでドラさんが言っていたような討論の意義のような話は、 この本が元ネタだったのか〜と思うような、割と他で見た事がある議論の原典を見た印象だった。 自分は誤っているかもしれないので反論を受けて討論する事でより真理に近づく、みたいな話。 人類はみな真理に近づいていくべき、みたいな前提はいまいち共感出来ない部分もあるけれど、反論を封殺せずに討論していくべきだ、という事には異論はないし、 自身の誤りの可能性を前提に行動すべきだという事には大きくうなずく所ではある。
だが、本書の前提は、主流の意見に対して異論を唱えるのを封殺してしまうのが良くある事であってそれがけしからん、という話であって、 現代的なSNSなどに見られるネットトロルや炎上といったものは、あまり想定されていない。 異論と討論するのはいいのだけれど、数の暴力で返答しきれない感じに追い込んだり、 反論にはコストが掛かるが異論を無責任に投げつけるのはほとんどコストが掛からないような事態は、 もう少し考えに入れてどうすべきかを考える必要がある気がする。
耳が痛い反論を不愉快に思う所は確かに今も昔もあるので、 炎上やネットトロルを単に抑圧してしまえば良いという訳でも無い気もするのだけれど、 討論として成立するための前提条件、というのはもうちょっと考えてみたい気はした。
割と少数の妥当に思える前提から始まって、 民主的な政府のするべきこと、するべきでない事について、根拠も含めて説明している所は、かなり説得力のあるものも多く、 また、その考え方自体も説得力があった。
自分で現代の政治において個々のトピックを考える時にも参考になる考え方だな、と思った。 自由に関わる話題について自分で考える良い材料になる本だと思うし、 かなりの部分自分自身説得された。 自分も自由を重視して投票活動などしよう、と思った。 次回の選挙では自由を大切にするために必要な事を重視している候補がいないか、とう視点で、候補者を見てみようと思った。
本書の訳者のあとがきみたいなのにも触れられていたが、 ミルはエリートの寡頭政治的なものもけしからんと思っていて、 皆が素晴らしい知性の持ち主と思っている訳では無いけれど、 それでも皆の自由や意見が大切だ、と思っているようだ。
そしてたびたび触れられる表現として「成人として判断出来るなら」というのがある。 例えばアル中になるほど酒を飲むのは良くない事ではあるけれど、 成人としてちゃんと判断出来る大人であるのなら、自身が酒を飲みすぎるという事を他者が強制的に邪魔すべきでは無い、 というような話をしている。(ただしアル中で他者の自由を侵害するような行動を取ってしまう事が十分に想定されるなら強権的に取り上げるべきとも言っているが)
自分は現代の就職などの進路選択は、大多数の人には難しすぎる選択をさせているのでは無いか、という気もしていて、 自由であるのが当人の幸せにつながっていないのではないか、と疑っている部分がある。 大多数の成人というものにそんな判断能力が無いとうまく行かない状態の方に問題があるのではないか、と。
でも本書では成人の判断能力にはかなりちゃんとしたものを皆に期待しているようにも見える。 ちゃんと判断能力がある大人に皆がならないといけないのか?そうでないと回らないシステムにしてしまっていいのか?というのは良く分からない。
高校生くらいと30代くらいに、そんなに判断能力に違いがあるのか?という疑問もある。 高校生くらいの若者はまだまだ子供で大人としてのちゃんとした判断が出来ない人は多いと思う。 けれど大人も大人としてのちゃんとした判断が出来ない大人は多い気がする。 そんなに比率が年をとると改善するのか?というのは良く分からない気もする。
一部の賢い人だけが自由を謳歌する、というのがあんまり良くなさそうというのは共感出来るのだけれど、 多数の成人に高い判断能力を期待してルールを決めてしまうのもあまり良くないような気もする。 どうすべきか、というのは良く分かってないが。
本書を読む過程でいろいろと自由について自分なりに考えた。 そうしたきっかけにもなり、参考にもなる、良い本だったと思う。
そしてもっと現代の我々も、自由とか望ましい社会とか政府とかについて自分の考えをちゃんとどこかにまとめたほうがいい気がした。
主張の内容とは直接は関係無いが、本書は当時不治の病だった結核にかかって最愛の妻も亡くし、自分も残された時間が短いと思って一番重要な事からやっていこう、 と思って最初に出した本、というのが、心を打つエピソードだなぁ、と思った。
もうすぐ死ぬとなった時に選ぶ事が自由についての本である、というのはなかなか良い。 自分が語るべき事の中に、もうすぐ死ぬ時に世に残すべき話がある、というのは立派な人間って感じするし、 正しくそれ(自由論)は世に残すべき事だよな、とも思う。 最後に何をやるか、というよりも、最後にそれが出来るような人生をそれまでに歩んでいる、という所が、偉大な事だと思う。
また、もうすぐ死ぬとなった時に自分だったら何をやるだろうか? というような事も考える。 なんか意義のある事をやりたいよな。 そしてとの時に意義のある事が出来るような日々を今歩んでいきたいものだな。 そのためにはなんか重要な事をやっていくのがいいんだろうな。