ニュースから距離を置く大切さと類似の話題だが。(インターネットリテラシーにリンクをまとめる事に)
SNSやニュースで見た事を調べる、というのはあまり良くない気がしている。 皆が同じものを見る事になるという点で社会の多様性が減り不安定になる気がするし、 その結果、煽動などにも脆弱になる気もする。 また、皆が同質になっていくと、話をしていても面白くない。
ある物事をどういう視点で切り取るか、というのは、その時点で凄く多くを決定してしまっている。 特にバズりやすいように意図的に切り取っている場合、 その話題についてyesと思うかnoと思うかは実は大した違いは無く、その二択を考えている時点ですでにほとんどの選択が終わってしまっている事が多い。 だからその事について正しいか間違っているか、 という事を検索して調べるのは、すでに何も調べていないで流れてくる事を無批判に受け入れているのとそれほど違いは無いのでは?と思う。
ニュースやSNSの話題は目まぐるしく移っていき、一つのトピックを長く学び続けるのが難しいように思う。 興味を持続させる事も、学ぶべき事をそれだけ深める事も難しい切り口で切り取られている事が多いのでは無いか。 わかりやすく対立出来ないとバズらない。 だから皆が賛成か反対か2種類しか無いような同じような記事のどちらかを読んで、 ある程度反対意見に不愉快を覚えたり憤ったりして、そして次に行ってしまう。 それはあまり意味のある事とも思わないし、社会の断絶を不要に深めているとも思う。 延々とそれを繰り返すのは、不毛では無いか。
一方で自分の興味から始めて物を学んでいくのは、 より人それぞれの違いが出る。 興味の最初のきっかけにある程度の誰かの意思はあるかもしれないが、 長く続けていけばそうした単体の何かの切り取り方の影響は凄く小さくなる。 また、どちらに進むか、何を深めていくかは人それぞれの好みなどによるので、 人の数だけ違いが出る。 そうして得た知識を積み重ねていく方が、 意図的に切り取られた話題を短時間調べて終わりにするを延々と繰り返すよりも、 ずっと良い知識が得られるのでは無いか。
例えばCovid-19やそのワクチンからワクチンの有効性とか歴史について学ぶのは、 あまり深みのある物の学び方では無いだろう。現時点でわかっている事も少ないし。 歴史を学ぶ時も目先のニュースからその国の歴史などを調べていくのは、 現在の利害に絡む切り取られ方をするのであまり深く学ぶのは難しい。 インターネットの歴史論争からそのトピックを調べていくのもあまり良くない経路に思う。
それよりは、生物を学んだり統計を学んだりワクチンというもの自体を学んだりといった事や、 興味を持った地域や文化習俗から歴史を学んでいく方が、ずっと多くを学べると思うし、 そうやってそれぞれの人間が別々の興味関心をもとに学んできた結果を持ち寄る方が、 集団としては正しいものの判断が出来るとも思う。 また他人と話す時にもきっとそういう他人と話す方が楽しいし、人が話しているのを見るのもそっちの方がきっと楽しい。
何を学んでいくかは、ニュースやSNSには任せずに、自分で決めていくのが良いと思う。その時に頼るべきは、自分が何を知りたいと思うか、なんじゃないか。