ニュースから距離を置く大切さ
最近、別に重要とか新しいという訳じゃない類の自分の考えをあまり表明してないなぁ、と思い、 そういうのをもうちょっとブログで書いてみようと思って書いてみる。
前から思っていて気をつけている事として、あまりニュースを見ないようにしている、というのがある。 これは以前rebuild.fmかなんかでomo先生も言ってたし、割とそういう人は多いと思うのだけれど、 どういう考えて自分がそういう事をしているのか、みたいな事を書いてみる。
昔はニュースを見るというのは良い事と言われていた気がする。 新聞を読む、とか、そういうの。 でも昨今はデメリットが大きくなっていて、なるべく触れない事にはメリットがある気がしている。
SNSなどで頼んでないのに繰り返し同じような話が自分の前に出てくるようになった事に、 ニュース関連の話題がある。 そしてそれはすごく偏っていて、バズりやすいものばかりが流れてきて、 頑張ってそういうものから距離を置こうとしないとたくさん目に入ってしまう。 自分はかなり頑張って距離を置こうとしている方だと思うけれど、 それでも少しは目に入ってきてしまっている。
そうして偏向したニュースが勝手に入ってくる状態で、 さらにニュースを見るのは、ニュースの摂取として過剰に思う。 ニュース自体もニュースになる事、という偏向があって、 それがSNSのバズリの偏向と同じ方向なので、以前よりもそうした偏向の被害が増大している気がする。 結果として中途半端に見ると何も見てないよりも誤った世界の認識を持つようになってしまう気がしている。
社会の問題などについては、
- ちゃんと時間をかけてしっかり学ぶ
- なるべく何も見ない
のどちらかの極端に倒す方が良いと思っている。
中途半端に知識を仕入れるとバズリのバイアスで大きく間違った認識を持ってしまい、 それについてなにかを言う事でその偏向にさらに力を貸してしまって良くないんじゃないか。 だから、ちゃんと時間をかける気が無いなら全然見ない方が良い、というのが自分の最近の考え。
SNSは意図的にバイアスを強めるようにニュースなどが選択されているし、 ニュースの側もそれに適応してさらにバイアスを強めている気がする。後者は気のせいかもしれないけれど。
建設的に社会の問題になにかの行動を取るのはコストが掛かり、全部の問題について行動を取るのは不可能だ。 取捨選択は必要に思う。 民主主義的には皆が同じものを選択して同じものを捨ててしまうと困った事になるが、 その選択がある程度ばらければ集団の意思決定としてはうまく機能するので問題無い(というよりむしろ望ましい)んじゃないか。
また、ニュースの話題は憂鬱な物が多いと思う。 なにかアクションを取る気も無いのに憂鬱なニュースに触れるのは、 自分の気分にとって単にマイナスで、その日一日の自分の幸福度を下げているんじゃないか。 自分を一人の人間として考えた時に、一人の人間が一日を幸福に生きるかどうか、ってすごく大切に思う。 ニュースを見る事でその幸福度が下がるのなら、見ない方がいいんじゃないか、と思う。
このニュースの憂鬱さもSNSで増幅されているので、意図的に距離を置くように頑張っていかないと、昔よりも幸福度を下げがちに思う。 だからニュースは見ないように頑張る必要がある、と思っている。
まず自分の毎日の幸せを確保する。そして余った所で社会の問題などに向き合う、というのが正しい順番だろう。
特にCovid-19時代の昨今、病気というのは本質的に嬉しくないものなので、 そんな事に対しての情報に触れる時間を増やすというのはあまり幸せな気分を増すとは思えない。 ニュースをRTする人はあまり目に入れないようにして、ニュースもあまり見ないように気をつけて、 そうした物からは距離を置いて、 楽しい事に向き合う時間を増やしていきたいと思っている。