社会科学の話は原典を読むのが大切
最近、ロールズの【書籍】正義論を図書館で借りてきて読んでいる。また、その関連でミルの【書籍】功利主義を聞いている。 また、Kindle Unlimitedでホッブズの【書籍】リヴァイアサンを読んでいる。
こうした本は原典を読むのが大切だなぁ、と思う。 それぞれの著者はそれぞれいろいろと考えて書いてあるのだが、 それらの主張を「XXX主義」とかまとめて雑に取り出してしまうのは、重要な所がいろいろ伝わらない。
webの短い解説が思った以上にミスリーディング
けれどこうした話をググってみるとだいたいが、以下のような構成の短い解説に行き当たる。
- 要約
- それへの批判
これらの解説を読むと、言っている事を短く理解したような気分になるが、 結構原典とは違う。要約は「いや、そういう話じゃないよな…」と思う事は多い。 そして批判もおそらく本来その批判を行った人の主張とはだいぶ違う要約になってしまっていると思う(こちらは読んでないので推測だが)。
これらのページを読んで思う「このくらいは分かったかな」という印象は、原典を読むと大きく間違っている事に気づく。 元の主張も大きく誤解している上に、その批判の文脈も大きく誤解している事に、原典を読むと気づく。
原典を読むほど労力を掛けたい訳じゃなくて、おおまかにこういう事を言っている、 くらいを簡単に知れれば十分なんだよな〜と思う時に、 こうしたページを読むと要件を満たせているように感じるのだが、 原典を読んでみるとその印象は思っている以上に誤解に基づいている。
つまり読んでる側としては省エネの結果ある程度不正確なのは仕方ないが、それでも概ねはあっている何かを読んでいると期待したいのに、 実態はそうでは無く、省エネの結果全然別になってしまう何かを読んでしまっている。
この手の解説は、原典を読む前に思っているほど概略を知るのには役に立たない。
概略解説系の新書も思った以上に原典を解説出来ていない
また、ネットではなく、ロールズの解説の新書などもaudibleで聞いてみた。>【書籍】今を生きる思想、ジョン・ロールズ
これもだいぶロールズの正義論とは違う印象で書かれていて、我田引水では無いが自身の主張を正当化するために原典の該当する部分を引用しているだけ、 みたいになってしまっている。
これまで、わざわざ解説の本を書くくらいの専門家なのだから我々素人が読むには十分なくらいはちゃんと原典を解説してくれているのかな、 と思ってこの手の概略本を読んでいたが、 最近は思った以上にそうでも無いと感じるようになった。
結局概略本は、著者が本質的でない、と思う所を省略して、本質的にはようするにこういう事を言っているのだろう、 と思う実際には言ってない例などを出して解説する事になる。 これは概略本を書くのにはある程度避けて通れない事に思う。 その立場が自分と同じであればおそらく割とすんなり同意出来るし、 違えばまったく納得出来ないまとめとなってしまうのだろう。
上記の本に限らず、概略本もいろいろ読んできた。 その印象からは、概略本というのは、我々部外者が思うほど中立的な概略にはなってなくて、 原典の内容を手軽に知る本にはなっていない(むしろ概略本の著者を知る内容になってしまっている)。
概略本にもいろいろあって、より原典をうまく紹介出来ている本やより著者の謎主張の正当化に使われているだけの本という違いはあるけれど、 総じて原典の良さを省エネで学ぶのには向いていない。 原典を読むかどうかを判断するのに向いている本はあるけれど、原典を読む代わりには思った以上になっていない。
我々が数学とか物理とかプログラムとか経済学とかの本で思う印象とは、結構違う。 それらも概略本や解説サイトは原典の心を捉えていないものばかりではあるが、 それでも省エネで内容を把握するのに省エネなりの概略にはなっていて、 自分の分かってない度合いは、省エネ度合いから思われるのとそれほど大きくは違わない。
でも社会科学関連は、見た目には全くそれらと同じように感じられるのに、 原典と比べてみると理系とかの本とは大きく違うもので、 省エネゆえでは説明出来ない多くのミスリードがある。 一度も原典を読んだことが無いと、その事に気づかないで社会科学全般を見てしまうという間違いを犯してしまう。
原典を読む大変さとメリット
一方、この前はミルの【書籍】自由論を読み、ウェーバーの【書籍】プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神を読んでみた。 それぞれ楽な本では無いが、別に部外者の素人でも理解は出来る。 概略本や解説サイトを見るよりは、原典を読む方が断然良いよなぁ、というのが読んだ印象だ。
一方で【書籍】正義論は、それを読むのに必要な前提知識がいろいろあって、 例えば功利主義などはミルの【書籍】功利主義だけではなく、 それ以前に経済学の基本的な内容を理解して、それを社会に応用したりする経験が一定以上は無いと正しく理解できない。 そして著者はホッブズ、ロック、ルソー、カントの系列だと自称しているが、 自分はカントの純粋理性批判は最初の方だけ読んで「これはきつい…」となって挫折しているので、カントは良く知らない。 ロックも知らない。ルソーはまとめ本みたいなのを読んだ事がある程度で原典は知らない。
こうして考えると、原典を読むにはいろいろと必要な原典があって、それを全部読んでいくのは時間がいくらあっても足りない、という話にはなる。 だから概略本で概要をつかむしか無い、という部分もある。 概略本はいまいちなんだが、出来る最善、という可能性はまぁあるよなぁ。
ただ、概略本が思った以上に概略では無い、というのは知っていた方がいい気もするし、 そのためには何冊か原典を読む必要はあると思う。 概略が思った以上に概略じゃないのは、実際に知るとかなり驚くレベルだと思うので。 そしてwebの解説系が実はほとんど概略本から書かれていて、原典を全然読んでないのも知る事が出来る。 webで解説を書くくらいだからその分野には割と詳しい人だろう、だから原典も読んでいるだろう、 と思うと大きな間違いだ。
また、原典も難しいが、読めないほどではないものが多い。読めないくらい難解なものもあるが、そうでない本も多くある。 ある程度難解な本を読む経験というかスキルは必要だけれど、数学の本のように、例えば多様体が分からない状態で情報幾何の本を読む、 というような全く無駄な感じにはならない。 数学の専門書はそれを読むための長い前提が必須で、それを抜いては全く理解できないものだ。
それを思うと、社会科学の原典の多くはそうでは無い。 コンテキストを理解するのに必要な前提知識は確かにあって、それらの多くは欠いた状態で読めば当然理解も不完全にはなるが、 それでも重要な主張の多くは理解する事が出来る。 そういう点では我々が思うほど社会科学の原典は、我々分野外の素人に開かれていないものでも無いと思う。
ドイツ観念論の周辺以外はだいたいは読める、というのが自分の印象だ。
全部原典を読むのは出来ないが、なるべく原典を読むのが良さそう
全部原典を読むのは無理だけれど、それでも思っている以上に原典を読むメリットが大きく、概略本を読むメリットが少ない。 だからなるべく時間は原典を読むのに使った方がいい。
原典を読むのに必要な原典をすべて読むのは無理かもしれないが、それでも原典を読んでいく量が増えていけばだんだんと前提条件を満たしている割合も増える。
そもそも、省エネで概略を理解する、というのが、思っている以上にできない事のようだ。 だから時間をそこまで掛ける気が無い事に関しては、 ある程度知るという事も諦めた方が健全に思う。
知る事が出来る範囲は限られていて、自分には知らない事がたくさんある。 時間を掛ける気になる程度を知る、というのが現実的に出来るせいぜいであって、 時間を掛ける気が無い事も概略くらいは知っておく、というのは無理な事のようだ。
概略本を読んだりwebの解説を読むメリットはそれらをしている時に思っているよりは遥かに小さく、 原典を読むメリットは読む前に思っているよりは遥かに大きい。
だから時間が限られているなら、限られているからこそ、なるべく原典を読むのに時間を使った方が良さそうだ。