ブランシャールの「21世紀の財政政策」を読んだ。

これはなかなか素晴らしい本だった。

読んでた時のメモはこちら。>【書籍】21世紀の財政政策 - RandomThoughts

国の経済政策には金融政策と財政政策があるが、この本は財政政策の本。 r-gが負、というのが当面維持されるとすると財政赤字はそんなにコストが無い、という事なのだが、 こうした主張を抜き出してそれの是非を議論するのはこれだけの本に対していかにも薄っぺらい反応と思う。

まず、r - g < 0 の時に債務が発散しない、 というのは別段新しい話では無く、 経済学のどの教科書でも公的債務の維持可能性の所で出てくる、 いわゆるドーマー条件の所で必ず言及がある。 ただ普通の教科書ではこれは一時的な事でそのうち正になる、 または正になったとした場合の議論を主にする。

この本の主張で珍しいのは、これが負である事が当面続くかもしれない、 という前提で、その含意をいろいろと深掘りする所が1つ目に思う。 ただそれだけだとそれほど目新しいとも自分は思わない。

学部マクロ経済学の教科書の副読本

この本が目新しいと思う事の2つ目に、 基本的にはマクロ経済学の学部レベルの教科書に沿って書かれている所にある。 r - g < 0がなぜしばらく続くとブランシャールが思っているのか、 という事を説明するために、教科書的な金利の決定要因をIS-LM的な世界観で説明をしつつ、 その範囲では問題が出る所にはRBC的なより進んだ研究の内容も織り交ぜる。 この、自分の言いたい事のために教科書的な話を総動員するのが、 この本の珍しい所に思う。

結果として良くあるこの手の政策を語る本ほど、すっきりした結論は出ない。 重要な事は良く分からない、という結論になるし、 ちゃんと計算すると r - g < 0もそんなにrobustでは無い、という結論になる。 この自分の主張がそれほど明確にならない、というあたりがこの本の面白い所でもある。

あくまでこの本は、「ブランシャールがどう思っているのか、そしてそれは何故か」という事を説明する本であって、 それが正しいという事を証明する本では無い。 だがそれを経済学の教科書に沿って行う事で、置いている前提もわかるし、 ブランシャールの考えと違う事が起きる場合もいろいろと考える事が出来る。 何よりブランシャールは何を重視して何を考えているのかが明確に分かる。 これは何を言っているかが全然分からない多くの同種の本とは一線を画す。 言っている事が正確に分かる、経済の政策について語った本。 これがこの本の価値の高さに思う。

また、学部レベルの経済学の教科書の内容をどう使うのか、どう重要なのか、 というのを、実際の重要なテーマについて考える事で、とてもわかり易く体験出来る。 これは個々のモデルをバラバラに学んでおしまい、という散漫な内容よりも、ずっと身になると思う。 自分のようにかつて勉強したあとにしばらくサボっていた人間には、良い復習ともなる。

ただし教科書に変わるものでは無い。あくまで財政政策を考える上で、しかもブランシャールが重要と思うテーマの周辺だけに焦点が当たるので、 システマティックに全体を学べる訳では無い。 だから教科書では無くて副読本、と思う。 けれどこれは面白い副読本で、学部レベルのマクロ経済学を学ぶ時には良い教材だよなぁ、と思った。 これを見つつマンキューとかの教科書を学んでいくのがいいんじゃないか。

最新研究の話も多い

基本的な所はIS-LMとOLG(世代重複モデル)で構成されてはいるけれど、 それの上にはかなり先進的な話が上乗せされている。

いくつかの節、例えば複数均衡のあたりは、自分は元論文を読んだ事も無いのであまりついていけなかった。 その他いくつか自分の知らない研究にも言及されていて、それらの良し悪しはあまり判断出来ない。 ようするに自分がついていけないレベルの話もかなり盛り込まれている。 これもちゃんと参照がって、最近の研究までのうち、 ブランシャールが重要と思っているものが整理されて、それらを読む指針としても良い。

単純に最新研究を列挙するのでは無く、特定のテーマについて自分の考えを述べる上で重要なもの、 という主観でもって判断をする事で、最新研究をいろいろ勉強しよう、 と思っている人にはそれらをコンテキストを持って読めるようになる、というメリットがあると思う。

自分の考えとは違うが主流派の考え、みたいなのに、 欄外の注でいちいちブランシャールのコメントが入っていて面白い。 だが無知な読者にはかえってシカゴ学派的な考えを多く教える本になっているのでは無いか、 という気もしてしまう。別に良いのだけれど。

また、ブランシャール自身の論文への言及も多い。 自分の主張をちゃんと論文で出版しているものに基づいてやるのは信頼がおけるよな。 口先では威勢が良いが自分の論文はへなへなした査読も通してないホワイトペーパーみたいなのしか無い、 みたいな連中とは一線を画す。(まぁブランシャールなのでそれはそう)

最近のサマーズとかとのブロゴスフィア的な話の総括にもなっている

経済関連の話題、端的に言えばhimaginary氏のブログなどでの関連する話題のうち、 ブランシャールの関わるもののまとめ、というような内容にもなっている。 こうした内容が好きだが、いまいちブランシャール自身の主張はIMFのホワイトペーパーはゴツいのも多くてついていけないなぁ、 と思っていた人には、それらよりはだいぶ読みやすいものになっているので楽しく読める。 ただこの本を一般向けの解説と言えるかは結構微妙な気はするが(後述)。

あくまでブランシャールの見解であってブロゴスフィアのコンセンサスという訳でも無ければケイジアンのコンセンサスという訳でも無い。 少なくともかなり近い立場のサマーズとも結構意見が異なっている所なので、ブランシャールの考え、でしか無いけれど、 逆に言えばブランシャールの考えとしては本当にしっかりとまとまっている。

経済学者のブログとかが好きな人にはとても面白い本になっているんじゃないか。 トピック的にも2022年までが含まれているのでニュース性が十分にある。

対象読者は学部レベルのマクロ経済学を学んでいる必要はあるか

この本は「マクロ政策談義に興味のある全ての人に読んでほしい」と言いたい所だが、 現実問題としてはやはりマクロ経済学をちゃんと学んでないと内容は理解出来ないだろう。

いろいろな変数がそれほど解説無く出てくるし、式の含意もそれほどの説明が無い。 自分も幾つかはぱっと見て分からなかったので教科書のドーマー条件の話やIS-LMの導出の話などを見直したりしている。

こうした事を全部良く分からないまま読み進めて「そうか、細かい所は良く分からないけれどr-gが負だから財政赤字をもっと拡大して厚生を高めるべきなのか!」とだけ思って終わってしまうのならこの本を読む意義はあまり無いと思う。 それこそそういう話は一章にまとめがあるのでそこだけ読んで終わりにしても良いだろうし、 そこだけ読んで終わりにするならこの本が他と比べて素晴らしいともあまり思えない。

逆に、不確実性下の話などはRBC的なものをある程度学んでいないとついていけない所もあるけれど、 これは無くても本書の多くのメッセージは読み解けるとは思う。 そういう点で学部レベルのマクロ経済学をちゃんと学んでいれば十分対象読者と思う。

ただ結構ちゃんと学んでないとついていくのはきついんじゃないか。 講義は取って一応単位はとりました、くらいではついていけない気がする。 やはり現実の政策をちゃんと議論しようとするとこの位にはなってしまうよなぁ、 という内容ではある。

日本に対する言及が多い

最後の6章などでは日本のデータを使って日本についての言及は多い。 やはり日本のデータで日本の話をしている方が関心は高く読めると思う。

この手の本ではUSとEUの話が多いのが普通なのだが、 低金利高債務下での財政政策というテーマの都合上、 日本は割と重要なモデルケースなので言及が多い。

この辺は日本に住む日本人としては嬉しい内容。

ブランシャールの予想が外れるケースの記述が多い

この手の本で珍しい事の一つとして、ブランシャールの予想が外れる場合の記述が多いという事も挙げられる。 外れるとしたらこういう場合が考えられて、その場合はこうするのがいいだろう、みたいな。

5章の後半などにはそういう個々のケースでの対応が書いてあるが、 ブランシャールの主張には賛同しない人でも、 考えられるケースとしてこれらがあってそれぞれの対応にはそれほど反対も無いのでは無いか。

この本はかなり強い主張を持って書かれている本なのだけれど、 そうした本なのに外れた場合の話が多いというのは珍しい。 そして自分で考える時にそうした外れた場合の話はとても参考になる。 この辺がこの本の価値をとても高めていると思う。

使うツールが単純で使い勝手が良い

いろいろなものを見た上で、実際のデータに当てはめて考える段になると、 式は単純で必要なデータも入手がしやすいものが多く、 それでいろいろと考えられる。 rule of thumbというか、 とりあえず大雑把に財政について考えるのには良い内容と思う。

実際上記の自分の読んでいた時のメモでも、現在のデータで同じ事を当てはめて考えてたりしている。 こうした事が簡単に出来るツールを提供する、というのは良い本だな、と思う。

一方であくまでrule of thumbなので、 最終的な結論はちゃんと閉じたモデルでやってみないと分からないよなぁ、 と思う事も多い。 この辺の適用可能性の限界みたいなのは結構ちゃんと経済学を学んだ人にしか分からない所で、 けれどそれをわかった上で使うのが正しいとも思うのが、 この本の対象読者のレベルを上げていると思う。

でも学部レベルのマクロ経済学ってこういうものだよな、とも思う。 誤りもあるかもしれないが、 とりあえず注意しつつ大雑把に関係を把握して何かを考える道具になる、という。 そういう割り切りを持って使っていくというのは、 学部レベルのマクロ経済学を勉強しようという気分を高めてくれて良いと思う。

また、そうした議論の大雑把さが気になる向きに、ちゃんとより進んだ研究へのポインが言及されているので安心感がある。 自分は単に安心するだけでそれらの研究を追ってないが(幾つかは知ってるのもあるが)、 経済学部の学生などはちゃんと追っかけてみるのが良いんじゃないか。

2章とか3章の内容はこの辺のツールの限界を考える道具にもなっているので、 単にツールを上から放り投げて良く分からないまま使わせる、というものでは無く、 この辺がより真面目に書かれた経済の本、という印象を強める部分でもある。

政策含意的な話

政策的な話だけを取り出して、当たるか外れるか、賛成か反対かだけを議論するのは、この素晴らしい本に対してあまりにも貧しい姿勢だとは思う。 思うのだけれど、政策的なものについても自分の考えを書いておく。

まず、ZLB下では財政赤字で潜在生産を維持するのは、 それこそ日本ではゼロ金利以降古くから言われていた事で、 むしろリフレ派などが良く攻撃していた内容という印象がある。 (デフレは貨幣的現象でうんぬん)。

という事でZLB下では金融政策には制限が課されるので財政政策が重要という話は、 新しい話というよりはむしろ保守的な話と感じる。 かつての日銀総裁の白川さんの主張を思い出す人も多いのでは無いか。

そして昨今の経験から自分的にはデフレの下方硬直性の悪影響はかつてリフレ派が言っていたほどには見えないという印象を持っているので、 割と財政赤字で支えるという話は普通に感じられる。

ただそれだと累積債務が膨らんでしまう訳だが、これがどのくらい問題か?という所が現在の議論の対象と感じた。

r - gが負の状態が長く続きそうなので債務のデメリットは少ない、 というのは、前半が真なら後半がそうなのはいいとして、 前半がどのくらい正しそうかは自分には良く分からないなぁ、と思った。

まず、高齢化の影響がr-gを低く留めるというのはあまり自分は納得出来なかった。 影響は良く分からないけれど、消費が増えて金利は上がるのでは?という印象を受けた。 OLGでは人口構成比の違いがうまく扱えていないのでは無いかなぁ。

そういう訳でr-gが負の前提で債務比率を一定に保つのが良いのか?というのは、あまり自信が持てない所。

ただ、r-gが正になるシナリオのうち、需要が増した場合のケースで、 プライマリーバランスの黒字を計上する事で需要を抑制して財政赤字を縮小する、 というのは出来そうにも思う。

また、海外のインフレが波及するケースでは金利を低いまま円安、インフレの状態を維持する事で債務の実質価値を削減するのも、 実現出来そうに思う(というか今やってるのこれでは?感)。

そういう訳でこの予想が外れる場合でもそう酷い事にはならないかもしれない、というのは、説得力があるように思う。

r-gが負の状態が今後しばらく、具体的には2050年くらいまで続いてくれれば、 高齢化の問題にはだいぶ楽に対処出来るので、向こう25年間くらい続くかどうかは結構重要な所で、 このくらい続く、という事もありえなくは無い気はする。 25年続かなくても15年続けばだいぶ状況は楽になるが、15年くらいは続くかもしれなくね?と言われると、まぁわからんけどそうかもなぁ、とも思う。

また、Covid-19関連が大きな出来事で債務がふくらんでしまったのは、こりゃ仕方ないよな、 という気もしていて、 その結果としてちょっと債務減らすくらいはあまり意味無いのでは?という気はする。 減らすのを目指すくらいならインフレを少し保つ方がよっぽど良さそう。

何にせよ、乗り越えるという点では2050年前後をどうにかすれば十分なので、 より長期の話は今は不要だよな、という気はする。 そしてこの位の期間だと、r-gが負の状態が続くかもしれない、 というシナリオも考える価値はあるかもしれない。

そう思うと、10年でプライマリーバランス黒字化、みたいな以前の目標の延長で設定されている目標は、 そこまでこだわる必要も無いのでは無いか、という気もする。

自分はこの本を読むまでは、とりあえず財政赤字を30兆〜50兆円くらいに抑えて、 その範囲で膨らんでいくのはまぁ仕方ないくらいでやっていくのがいいんじゃないかな〜と思っていた。 現状のデータで当てはめると債務比率を今の水準に保つにはこれでは少し多そうなので、 本書の提案との比較でいくと、むしろこの本は、私の以前の主張よりも、もうちょっと財政は引き締め気味がいいんじゃないか、 と言っている事になる。 まぁそうかもな、とは思う。

一方で本書の内容で同じ枠組みをよしとしても、rの不確実性を考えると累積債務はGDP比率で100%以下くらいに抑えておく方がいいのでは? とか、ある程度の想定外の事態をプライマリーバランスの変化で相殺出来るようにある程度0のそばにしておく方が良いのでは? という、よりタカ派の考えも正当化出来るように思う。

そういう点でこの本は、主張としてはある程度ハト派ではあるが、 同じ枠組みでタカ派の主張も出来るものであって、その違いはrの不確実性とかそれが上がるメカニズムとかの違いとして議論は出来るものになっている。

まとめ

学部レベルのマクロ経済学を使ってブランシャールの考えを理解する良い本。 ブランシャールの考えに同意するかは人による所だが、 そうした事を考える題材として素晴らしい本なので、 政策的な結論だけを取り出して議論せずにしっかり内容を味わいたいところ。