MOOCの感動的な講義と教育
以前Biochemistryのコースのレビューをclasscentralに書いたの続き的な話として。
このBiochemistryのコースに限らず、MOOCの講義には感動的な物が幾つかある。 講師が人生を掛けて来た対象について、それがなぜ面白いのかを情熱的に語るような授業。
過去にその科目を研究する事に人生を掛けた人たちの話を、 今人生を掛けている人が語る、という所が 高校の授業とかと違う所だよなぁ。 生物の場合、重要な発見をした人たちが講師と同じ時代や近い時代を生きた人なので、 自分がそれに接した時の驚きとかが伝わってくる感じがある。 過去の代表的な人たちの中には、同僚やライバルの話もあれば、自分がこの道を志すきっかけになった人も入る。 実験手法を語る時も、もう古くなって使われなくなったような実験手法でも、 「自分が講師になった時には使ってたんだよね〜、これが面倒でさ〜」みたいなのがある所が、 その人の人生の一部を説明している感じを受けるのだよな。 そういう風に語られるから、現在では使われていないが原理の理解は簡単なので学習の初期には学んだ方が良い手法なども、 古びた価値の無い何かとは感じずに興味を持って学べる。
有機化学の知識が少し足りなかったのでyoutubeで幾つか検索して引っかかったビデオを見たのだが、 その手の動画にはこうした面白さが全く無くてその違いを考えてしまう(ただし足りない知識を補うのには役に立ったのでそれらの動画が公開されているのは素晴らしい事ではある)。
自分はこうした感動的な体験が好きで他の専攻の学問を本格的に学んでいるように思う。 こうした感動は部外者にも分かるような、いわゆる「お話的な本」には無い。 ちゃんと基礎を積み重ねて大変な事を乗り越えないと理解出来ない話にこそそうした感動があると思う。 こうした感動こそが、本格的にものを学ぼうと思う原動力なんじゃないか。 それを含んだ何かが、MOOCで何かを学ぶという新しい趣味には含まれている気がする。
こうした感動は、物を学ぶという時に凄く重要な要素に思うが、 一方で勉強とか教育過程とか学校とかを語る時に全く入ってこない。
過去にあったある専門分野の重要な発見や発明を、自分たちの事として語る為には、 そうした重要な発見や発明をする人や、そのそばの人である必要がある。 そうした事を情熱をもって語れるのは、必然的に重要な成果を多くなした大学に偏る。 ようするにそれはMITとかHarvardとかStanfordとかの、世界的にトップの大学の教授とかになる。
そうした授業は非常に難しく、そうした授業を楽しめる時点で「普通の教育の話」の範疇を大きく越えた所に居る事になってしまう。 だから教育について語る時には、だいたいはこうした感動は対象外になってしまう。 でも自分にとっての教育を考えるなら、こうした事は重要な論点となる。 自分は自分の事を語るのが良かろう。
自分にとっては、まだ知らぬ広大な知の地平が広がっている事を知り、そこを思うままに自由に散策するという事を人生の一部とする事は、教育というものに求めたい重要な一要素に思う。 そのためには知らぬ世界の広さを知る事が出来る能力や散策をしていく為の能力といった能力を得るという事と、 またそうした散策をする意義や喜びを知るという体験の両方が必要なのではなかろうか。
また、自分が専門にやっているプログラムというものも、 こうした他の分野で人生を掛けた結果紡がれる言葉と比較してもくだらないものとは感じなくて済むような、 意味のある事をやっていきたいな、と背筋が伸びる思いがする。