昨日久しぶりに同年代の人とオンライで雑談をする、という機会があったのだけれど、 そこで話をして思った事。

40代ともなるとライフスタイルの違いが大きくなりすぎて全く同じようには語れないと思うのだけれど、 だからこそ自分のライフスタイルの視点からの見解を書いてみたい。

キャリアの終わりを考える

自分が40代で変わったと思う事として、プログラマ人生の終わりを考える事が増えた、という部分がある。

何歳までプログラマで居るのか、現在は折返しくらいは過ぎたのか、 終わった時に振り返って何をやったと思うだろうか、 そういう事を考える時に、終わりの時期にある程度具体性を感じるようになってきた気がする。

もうすぐ終わりだ、という歳では無いのだけれど、親は引退をしてキャリアが終わっている時期で、 そうしたものを目の当たりにして自分の場合はどうだろう、と考える機会は増えた気がする。

とは言っても別に50代の事が良くわからないのは、30代の頃に40代の事が良く分からなかったのと同様で、 結局は今の10年くらいしか良くは分からないのだけれど。 でもここまでの期間がそれなりの長さになって、やってきた事もそれなりの期間になってくるので、 それを持ってこのさきの終わり側もある程度感覚的にはとらえられるようになってきた気がする

また、今やってるプロジェクトはたぶん3年ではリリースまで行かないくらいの長さのプロジェクトだ。 こういう長さの単位でものを考えると、残りの回数もそんなには多く無いよなぁ、と思う。 あと何回あるか?みたいなのは30代くらいから考えるようになったけれど、40代は終わりの意識が強くなって、 あと何回、は、どちらにせよ多くは無いよな、という感覚が強くなっている。

40代の経済的な話

自分は31歳からセミリタイアという状態ではあったと思うが、 37歳くらいからだんだんと「この資産を下回ったら生活費分くらいは稼ごう」というラインに当たらなくなってきた。 37歳〜40歳くらいまでの間でだんだんとそういう状態に慣れていって、 40歳くらいからはその状態を所与として今後を考えるようになった、という所に、30代と40代の違いがあるような気がしている。

資産的な話は基本的には運用がばらつくので確率的で曖昧さのある話だけれど、 40代になってからは、仕事で得られるお金はプラスアルファとして消費するものであって、 それがないと困るような物では無くなっている。

消費をする事は重要な欲求ではあるから金銭的な事は労働の理由にはなってないという訳では無いのだけれど、 逆に言えば消費したいという欲求を上回る苦労はこの側面からは正当化出来なくなった。

40代の健康とか体力的な話

40代の前半に関して言えば、仕事について健康面で何か感じる事はあまり無い。 むしろ30代の後半の方がいろいろ考える事は多かった。具体的には肩こりと老眼。 また、寝不足とかが翌日に与える影響が大きくなったのも30代の後半で、 夜行バスとかを使うと翌日頭痛がして使い物にならない、とかになったのも30代後半からに思う。

40代はそうした事への対策とか慣れとかが進んで、かえって30代後半よりは、いろいろ出来るじゃないか、と思うようになっている気がする。 20代のようには行動できないけれど、「まだ何かはやれるんじゃないか」というくらいにはいろいろ出来そうにも思う。 プログラム以外の面では衰えを感じる側面もあるが、プログラムという活動にはまだまだ問題は無い気がしている。

自分は割と20代の後半くらいから健康の維持には労力を払ってきた方で、 そうした事の成果は出ている気もする。

40代で仕事に求めるもの

以上の事からも、仕事に求めるものというのは20代とは違うし、30代の前半とも結構違う。

来年は働く事にする - なーんだ、ただの水たまりじゃないか などでも書いたが、今仕事で働く事で求めるものは、 ようするに長い目で自分のキャリアを考えた時に「これをやったぞ!」と思える事を増やす、というような事に思う。 快適な環境で出来る範囲で、という制約条件がつくが。

30代の頃の方が仕事に求める事は少なかった気がする。 経済的にたまにちょっとは働く必要が出てきたがゆえに、それ以外の理由をあまり考えていなかった。

40代はそうした必要性が無くなった結果、働く意義とかについて考える度合いが増えた気がするし、 その結果として仕事に求めるものも大きくなった気がする。 働かなくてもいいかという思いは以前よりも強くなっているのかもしれないが、 働くのならXXが欲しい、というXXは強くなったようにも思う。

会社組織という建前に対する共感の低下

仕事をするにあたり、全く重視しない事としては、雇用主の評価とかがある。 プロフェッショナルとしての矜持はあって不義理を働きたいとも思っていないけれど、 それ以上の何かが無い。

仕事の評価は自分やユーザーや市場や業界であって、雇用主では無いなぁ、と思う。 これは30代もそうだったかも?ただ30代は「次にまた働く機会」みたいなものもそれなりの重さはあった気もするが、 最近は残りの回数の少なさからそうした要素はほとんど重みを感じなくなってきている。

経済的な側面から必要性をあまり感じないので、 例えば社長が偉い、みたいなものも、昔よりも共感が薄れている気がする。 自分の仕事の目的にあまり関係無い場合が多く、助けになってくれる余地を昔よりも感じない。 プロジェクトを中止する権限はあっても、成功させる権限は無いよなぁ。

会社のperformance review的な人事考課みたいなものの必要性も昔よりも共感できない。 プログラマの仕事を会社が評価する必要性は特に感じないし、出来るとも思えないし、それが自分の評価よりも意味があるとも思えない。 昔からそう思っていたが、残りの回数が減ってきたと肌で感じる度合いが増えると、 ますますそうしたものを建前として関心を持つフリをする事すら出来そうにない。

会社を成長させるとかそういう事にも関心が湧かない。 自分が目標を達成しようとする事がそうした事に結びついている方が都合は良いな、 とは思うけれど、一致させようと自分が頑張る必要性はあまり感じない。 機会が無ければやらなければ良い気がするし、 また自分がそこを頑張らなくても現実問題として機会はそれなりにある。 自分の目標を達成するのに障害になっているのは、会社組織のやりたいと思う事とのズレでは無くて、 もっとプログラマ的な事情に思う(良いプログラマを集めるのが難しい、とか、競合が強い、とか)。

40代の仕事に対するスタンス

仕事に対する接し方というかスタンスは40代で結構変わった気がする。

プログラマとして何かを為せるかどうか、という目的意識なので、 それにとって組む相手として最善と思えば組むし、そうで無ければ契約を解消して終わりにすべき、と思っている。

自分の目的意識は会社の存続とか成長とは直接には関係ないので、 目的が揃わない事は良くあるだろうし、その時にお互いが妥協して協力をする必要は無いと思っている。 どちらかに問題が無くても目的が合わない事は良くあるだろう。

自分は会社組織にとっては距離の遠い同盟相手みたいなものでは無いか。 状況がまずくなった時に踏ん張って立て直したりする仲間では無くて、 組むに値すると思われているから組んでいるだけ、という。 だから会社側も自分にそれほどの義理を感じる必要は無いし、 自分も自分の目標達成に有用かどうかという事しか考えてはいない気がする。

だから会社とか組織の維持、発展に関わる事には向いていない気がする。

会社の成長と自身を同一に出来るのは、30代前半くらいまでじゃないのかなぁ、とぼんやりと考えている。 年齢の問題では無いのかもしれないけれど。

一方で自分の目的意識の方がコミットすべきものが少ない、という訳でも無い。 自分がプログラマとして何かを為した、と思うのは、普通のプロジェクトを成功と言える範囲に収めるよりもだいぶ目標が高い。 絶望的な戦況でなんとか生き残ろうと頑張ったりはしないが、 本来は勝とうとしなくて良い絶対強者を倒そうと頑張ったりはする。

そういうのは結構スタンスが変わったなぁ、と思う所だ。 そしてそういうスタンスを取るのは40代としてはなかなか良いんじゃないか、とも思っている。

40代の働き方

以上を踏まえると、30代とは結構働き方も違うよなぁ。

会社の顔として前線で働くのには向かない。 辛い状況をがんばって生き残ったりもしないし、 チームや関係者の生活を背負って当たり前を当たり前にする為に頑張ったりはしない。

そういった会社を支える屋台骨にはならないし、会社の一部にはならない。

これまでの経験や経済的余裕、人脈などを使って、 普通ではやれないような事をやろうとする。 ただ、だいたいは普通ではやれないような事はやれないので、 仕事として話がまとまらず、話が流れる事が増える。 そうした話が流れる事に耐えられる状況に普段からある、というのも40代の特徴じゃないか。

小さな成功も大きな失敗も同様に失敗に分類されるようになるので、大きなリスクは取りやすいが、 小さく成功させる仕事には向かない。

残りのチャレンジ可能回数が少なくなってきたのを実感しているので、先よりも今を重視する度合いが30代よりも強い。

向いてない仕事の方が多いと思うので、 向いてない事は無理にやらないで無職で居る。向いてない事は若い人たちに任せておけばいい気もするし。