最近あまりtwitterから流れてくる技術情報を読む事が無くなった。

twitterを始めた頃というのは、新しい技術情報がtwitterにしか流れない事が多くて、それで自分もtwitterを始めたという部分があった。 もともとあまりtwitterが好きでは無かったので、時代に押されてイヤイヤ始めたみたいな所がある。

だが最近は、twitterで流れてくる技術記事が、タイトルだけで脊髄反射しやすいような物ばかりで、あまり読む価値があるものが流れてこなくなっている気がする。 4年ほど前に、ブログの時代がふたたび到来!?でも同じような事を書いているが、 「SNSで話題になっているものの不毛さ」は当時よりもさらにひどくなっている気がしている。

代替となる流入先としてのアドホックなブログ記事探索

4年前の時点では代替となる流入が無かったが、最近は、代替となる流入が出来つつある気がする。

ポスト技術書時代のプログラム関連の学習でも書いたが、 最近自分は単発ブログ記事を集めて読んでいる事が多くて、情報の流入経路がSNSからアドホックなブログの探索とInstapaperにシフトしてきている気がする。 さらにカンファレンス動画や公式ドキュメントなどもSNSはあまり関係ない。 こういう形式が実現してきているのは、各ブログに読む価値がある長い記事が、何年もかけて蓄積されてきたから、という面もあると思う。 長い記事はそんなしょっちゅうは書けないが、何年も続けていれば各ブログサイトには読みきれないほどの、価値ある記事があふれる事になる。 それが一定のしきい値を超えた結果、アドホックに流入する記事が、ずっと続くようになったような気がする。

もともと自分はブログ時代の方が好きで、twitterはあまり好きでは無かったので、ブログに揺り戻しが来ているなら嬉しいな。 twitterが流入先としてあまり価値が無くなってくれば、嫌になったらやめてもいいかな、という気分にはなってくる。 twitterにも、しらない人とのコミュニケーションのチャンネルとしての意義は残っているのだけれど、情報の流入に比べると自分にとっての重要度は低い。

昔より個人的なメディア

ブログに戻ったといっても、ブログ自体は昔と違うものにはなっている気がする。 各記事にあまりweb日記的なつながりを感じなくなったし、知り合いからの流入の度合いも減った。 web日記というよりも、かつてのホームページに近づいている気がする。

個人が長いエッセイや解説を書く。 そこには他人とのつながりが無く、自分が個人的に興味を持っている事が書かれるだけ。 人とのコミュニケーションが昔より減って、個人がより強くなった気がする。

podcastもそういう傾向あるよな。podcast同士のつながりとかはあんまり無くて、 ゲストとかも多少はあるが、基本的にはやはり喋っている人の個によってたっている気がする。 つながりに疲れた結果個人に戻っているというか、逆に個に振れているのかもしれない。

みんなが話題にしている事に飽きているからこそ、個人が自分の関心のある事を語るものが面白く感じられるようになっている、という側面もある気がする。

情報流入以外の要素

技術情報の流入が自分的なtwitterの最重要な理由だったが、他の理由も減ってきている気がする。 以前は感じていた暇つぶし的な読む物の無さも、Instapaperのブログ記事のストックとなろう小説で割と代替出来ている気がする。 なろう小説のテンプレの40話くらいで終わるものを乱読するのは非常にくだらない時間の過ごし方かもしれないが、 twitterよりはマシな気がしている。

友人の近況を知るという手段としても、発言する友人が年々減ってきた結果、あまり機能しなくなってきた。 実際まわりの近況を知るならpodcast聞いたりMessage Passingで何か話したりする方が機能している。

昔はやめるのに強い意思を必要とする中毒性のようなものがあったが、最近はそういうのも薄れてきていて、 別にやめてもいいがやめなきゃいけない程の重要度も無い、みたいな状態になってきた気がする。