論文の追い込み
11月の頭くらいから何度かこのブログでも書いてきたが、最近は論文を書いている。 目標の締め切りは1月いっぱい、くらい。
その時からぼちぼちやっている事なのだけれど、年末年始は一緒に書いている元同僚が冬休みで時間が取れるとの事なので、ちょっと集中してやってしまおう、と言う事になっている。その為、、、という訳でも無いが、今年の自分は、あんまり年末年始の感じが無い年末年始となっている。
実際に気合入れて作業してます!と胸を張って言える程バリバリ作業を進められている訳では無いが、 いろいろと気が乗らない事をなんとか乗り越えたりはして前には進んでいるので、 まぁこんなもんなんじゃないか。
現状はだいたい各セクションは埋まって、図とか表も一応必要な物はそろった 、くらいの状況。 ただ一部苦しい論理展開の所とか、そもそも英語がおかしくて何言ってるのか全然分からない所とか、 同じ事が別のセクションで二回出てきているとか、 本当にとりあえず埋めただけ、という状態。
出来の悪い段階の自分の文章読み直すのは結構苦痛だが、それでも真っ白な状態よりは埋まっているのを直していく方が大分気楽だ。 そういう点では進捗は順調と言える。
一方で論文書きはある程度進むと論理展開として完璧では無い所が出て来る。 そういう問題意識なら本来はこういう実験の方がいいんじゃないの?というのが出てくるのだが、それだとこっちの方がうまく比較出来なくなって、でもそっちだけだと論文として「だから何なの?」という感じが強くなってしまって…みたいな、 実際に形にする上で生まれてくる不都合と向き合わないといけなくなってくる。 白紙の頃はそういう事も無いのだが。
でも論文を書くというのは大なり小なりそういう物で、 そういう中からなんとか形にしていって査読を通していく、 というのが研究活動という物なのだろう。 だから何も論文書かずに既存の論文の出来が悪いとか言ってるだけなのはちょっとかっこ悪いと思うのだった。
今書いているもの、ここまで書いてみると、内容自体は、結構良い論文なんじゃないかな、と思い始めている。 流行ってる手法で前の問題を試してみました、結果は結構良い気がするけど雰囲気で語ってます、 みたいな量産型の論文よりはずっと中身がある。 どこまでこの中身の良さを説得力を持って伝えられるか、 というのは今月いっぱいの我らの頑張りにかかっている所だが、 伝えるべきと思える内容がちゃんとあるのは良い事だ。
トップカンファレンスに通せるかは自信が無いが、それなりの学会にちゃんと通す所まで踏ん張れれば、結構良く頑張ったと思えそう。
頑張れ、自分!