一年に一度のお楽しみ、となったomo氏の一年分ブログ一挙公開が、2017年分がされていた。

http://anemone.dodgson.org

ちょっとずつ読んでいこうかな、と思ったが、最近は年末年始で睡眠が不規則になっていて、夜寝付けなかったので全部読んでしまった。

まずは印象に残ったエントリなど。

Daydreams of a Revelation

一番良かったのはこれかなぁ。シミジミとしてしまった。

これ単体では別にどうという事も無いのだけれど、それ以外の一年で何をやってきたのか、というのを読んだところでこれが挟まるのが、否定出来ない説得力を感じるというか、ぐっとくる重みがあると思う。

この一年分のブログのGoodfellow本にまつわる苦闘の記述が、それなりの長期で今の待遇を維持する、という事にかなりの努力を払っている事として読み取れる。 それって、独身のプログラマならそんな事にはならないと思うのだよな。

例えば、楽しければいいや、といって目先の楽しい事にはまって、その結果たとえより待遇のしょぼい所に移らないといけないような状況になっても、まぁこれまでが高すぎたのだよな、 これでも別段生活には困らないよね、となるのが普通に思う。

または逆に、これからの時代で活躍するべく、いろいろな所を見直し準備もして、 データ分析の時代の中心に移動して頑張ってみるぞ!というのもありえる話だ。

だが、そのどちらでも無く、今の待遇を良い物だと認めた上で、 けれどそれを少しでも手放さなくて済む方法をかなり懸命に模索する、というのは、 なんというか、変わったなぁ…という寂しい思いと、 大人になったなぁ、凄いなぁ、という思いを、半々くらいで感じる。 いや、少し寂しいが多いなぁ、やはり。

一方で、こう、大変な時期に子供を育てる事になったなぁ、という気もする。 これがwebの時代とかなら、こんなにきわどい苦労を重ねたりする必要も無くて、 もうちょっとぼんやりと違いが際立たないような日々を送っていたんじゃないか。 これは我々や、そのちょっと下くらいの世代しか味わわない境遇に思う。 まぁ前の世代には前の世代の苦労があったのだろうけれど。

Why Blog

これも良かった。

前のエントリが遠くに行ってしまって寂しいな、という話だとすると、 こちらは逆に、思ったよりも近い側にいて嬉しい、という話だった。

omo氏のブログが一年に一回になってしまって、これまで自分は、 彼はもうwebのアイデンティティを維持する事にあまり関心を持ってないのだろう、 と思っていた。 これからは家族とか仕事とかそういう事を頑張るだけで、まぁwebというものは押し出されてしまったのだろうな、と。

一年に一回のブログというのはwebのコミュニケーションというのを否定しているように見えて、 blogの大切な部分を捨ててしまっているように思えた。 だから今やっているのもその残滓みたいなもので、 そのうち更新しなくなってやめてしまうのだろうな、と。

だが、このエントリは自分が思っているよりずっとブログを大切に思っていて、 なんとか今の時代のあり方を探そうとした一つの中間地点だ、と思えた。 それは今の時代に技術系の個人ブログを書いていこう、といろいろしている自分と同じ立場に感じられて、親近感が湧いた。

今の時代にblogをしよう、という事自体がそもそもに時代遅れで、 そんな事は百も承知だ。 でもバズる事を狙ってばかりで凄そうに見える事ばかり書いたり、 みんなが一緒に怒ってくれそうな事を書いてばかりいていつも怒っていたり、 なんかそういうのは嫌だなぁ、とも思う。 なんとかならんものか、もうちょっとこう、普通な感じの技術ブログやりたいのだよな。

考えてみたら技術的なブログで日常的な事をほそぼそと綴っていく、というのを続けているのは、気づけば自分の回りだとomo氏と自分だけになっている。 まぁKazuyoshi Katoもたまにやっているか。

omo氏の2017年の、その他のエントリもこのエントリの主張をいろいろ裏付けていて、それがまた良い。 例えば、普通に公開してはてブやらtwitterやらで反応をもらっていると、 メジャーな書籍などをくさす内容ばかりに反響が集まり、 炎上芸人みたくなってしまうだろうなぁ、という気がする。 でも2017年のエントリを見ていると、 どうせすぐに公開される訳じゃないからいいか、というくらいの感じで好きに書いていて、 そのバランスが結構良い。 全く読者サービスが無い訳じゃないが、それをやり過ぎて自分の中のかすかな声が消えてしまっていない、というか。

変に見えをはって、最近の流行りの論文に対して分からないポーズを取ったりするんじゃなくて、 本当に読んでて分からない事などを「うー、分からん!」といったり、 その中でいろいろ苦闘してたまに分かったりする。 そうそう、こういうブログがいいよね、と読んでて思った。

以前の、数ヶ月に一回、いかにも人気の出そうなポストをしていた頃に比べると、ずっと良い内容のブログになっている気がする。 twitterとかでバズるのは以前の方なんだろうが、少なくとも自分にはこっちの方が面白い。

omo氏のスタイルはblogの大切な部分を捨ててしまっている、と思っていたが、考えてみれば別にもうブログ同士のコミュニケーションは死に絶えている。 このブログだって別に他のブログとコミュニケーションする事はほとんど無い。 反応といってもtwitterとかのエゴサとかくらいで、 これがブログをろくでもない方向に歪めているというのには全面的に同意する所だ。 そう考えてみると、別段このブログに比べて氏のブログのスタイルが、ブログらしさが低いという訳でも無いなぁ、と考えを改めた。

雑感

今年の内容も、いろいろと面白くて考えさせられるものがある。

別段普段話している訳でも無いのに、言っている事に自分と似ている部分が結構あるのが印象的だった。 Kotlinとデータ分析が多いので、そもそも分野が近いというのはあるかもしれないが。

最近の自分のブログを見て書いたのかと思うような内容も、日付を見ると半年くらい前だったりする。 かつてそれなりにコーディングに自信を持っていた我々が、 データ分析という新しい分野に直面すると思う事は、ある程度似ているのかもしれない。

データ分析には、自由時間が少ない中では良く時間を割いているなぁ、 と思うけれど、一方で「ここから先は分からない」という壁がまるで見えるかのような臨場感で感じられて、なかなか辛い。 これだけやってもまだこんな所なのか、という事が、逆に自分がこれまで歩いてきた道のりの長さを思い出させる。 結局それぞれの人が持っている物で勝負するしか無い訳で、 無い袖はふれない中どうやっていくのか、というのは個人プログラマのブログには期待したいテーマに思う。

手を動かさないといけないのは分かっていながら、なかなか「これで自分もやっていける」という所まで動かせないのもデータ分析の入門の難しさだよなぁ。
クックパッドの学生バイトやインターンなどは、もっとずっと少ない知識でバリバリやっているのだけどね。 バイトやインターンに戻れない人はどうしたら良いのだろう?

一方でAndroidも別段ピンチという訳では無いので、 そこに結構余裕がある所がただ危機を煽るだけよりも地に足がついていて面白い。 今すぐなんとかしなきゃいけないほど現状が酷い訳じゃないが、 データ分析界隈の勢いも無視は出来ない、という。

WebViewがいろいろ問題があるのはその通りで、なんでまぁ「WebViewでハイブリッドです(キリッ」みたいなのはほっておくのがよろしい、 と思ってあんまり深入りせずスルーするようにしていたのだが、 誰かがこういうの言うって大切なんだろうね。 何故駄目なのかをちゃんと説明するのはそれなりに大変なので、立派な社会奉仕に思う。 自分はやらないけれど。

Kotlinいいね、というのは自分も結構思う所で、Androidの開発がこれで現実的に出来る、って所が凄い良い所なのだよね。 それって伝わりにくい所だけど、実際に物を作ろうと思えば凄く重要な訳で。

あと言っている事が関数型の人っぽくなっててちょっと面白い。 sbtでscalaちょっと触ったり、ってちょくちょくあるんだよね、確かに。 自分もSparkで何か片付ける時は結構そんな感じだった。

英語のブログでいくと、自分の前の前のブログ(別アカウント)は、結構英語で読まれていた。 日本語で読まれていなかった、という話もあるけれど。

だいたい.NETとかCOMとかのAPIで、使い方がわかりにくい物のサンプルコードの記事などが良く回覧されていた模様。 これはコード中心って話に近いですね。

当時はgithubとか無かった気がするし、今とはまた違うけれど。 文章で人気を得よう、という訳では無いのはおっしゃる通り。

自分はアプリも英語圏の方が使われるし、あんまり英語だと存在感が出せない、というあたりの肌感覚は無い。 現地に居ないから鈍感なだけかもしれないけれど。

なんにせよ、一年分読めて面白かったので、また今年も続けてほしいな。