LLMのチャットのログと参考書の答え
台風の間はサーフィンばっかやっていたので、しばらくいろいろな作業を止めていたのだが、 無事台風の波も過ぎさり、日常が戻ってきた。
という事で台風の前にやっていた作業に戻ろうとしたが、はて、なにをやっていたか? chatGPTとGeminiのチャットのログには、いろいろ途中までやりとりした内容が残っているが、あまり覚えていない。 仕方無いのでログを読みなおすが、 あんまり覚えてない上にこの読みなおすというのが建設的な気があまりしない。 そんな作業をしていて思った事。
LLMとの対話は、大学受験の参考書の、青チャートの答えを見るのに似ているように思う。 答えを見てなるほど、とは思うが、自分の側の理解が浅く、あまり記憶にも残っていない。 最初に自分で解くべきかまず解答を読むべきかは派閥が分かれる所だろうが、 見ずに解く機会をどこかで作る必要がある事には異論は無いだろう。 解答をただ読むだけだと自分がどこが分かってないのかが分からず、 本当のポイントを見逃がしたりしがちだ。 見ずに解いてみて、つまる所を解答をつきあわせる事で、 「あぁ、ここでそうやるのか」という事を覚えられる。 解答を読むだけだとどうしても印象にも残らず、覚えられない。
問題集は解くのが目的ではなく、 本当の目的は解けなかった問題を解けるようにする事だ。 問題集を解いて解答を見て理解するだけでは不十分だし、無駄も多い。 だから解いただけで終わらせるというのはとても無駄に思える。
だがLLMとの対話は、大抵何か目的を持ってやっている。 解くのが目的であったり、 せいぜいその答えを自分が理解するのが目的、という程度で、 自分が解けるようになるのを目的にはしていない。
ただ、これは学習効果はかなり低い気がする。 学習を目的としていないので、 それは当然と言えば当然な気もするが。 学習を目的とするなら、答えに到達したあとに、 解きなおして習得する段階が必要なのではないか。
何より、ログを見ると、対話をしている時間は結構長い。 この長い時間が、学習を目的としてないのは、それで良いんだろうか? 単に最終的なアウトプットしか意味が無いとするなら、 この対話の時間は随分と無駄にも思える。
対照的に、台風の前にやっていた計算は結構覚えている。 この計算のノートとチャットのログを比べた時、 計算のノートを積み重ねる方が良いのではないか?という気もする。
単に学習を目的としていなかったのが問題で、学習を目的とするように変更しようとしたとする。 この場合、解答はとても役に立つ。 自分は青チャートの解答は先に見る派閥なので、 解答というのは答えを理解するものというよりは、 答えを覚えるための手引書のようなものと思っている。 LLMとの対話も同じ目的で使えそうに思う。 答えに到達したあとに、 今度はそれを見ずに答えを再現出来るように練習すれば良いんじゃないか。
チャットのログを見ていると、青チャートの比喩は適切な部分とそうでない部分があるようにも思う。 それぞれの対話は答えは明確じゃないし、最初に知りたかった事とは違う結論になっている事も多い。 むしろそこへと至る過程こそが対話の目的である。 これは最初に提示された問題を解く、という青チャートとは、大分違う性質にも思う。 青チャートの問題を解き直す事には意義を感じるが、 チャットのログの紆余曲折を再現する事には意義を感じない。 ただ、結論だけ覚えればいい、とも思わない。 それぞれの時点で方針を変更した経緯はしりたいよなぁ。
比喩の適切さに話を戻すと、答えを見るだけで解けるようにならない、というのは、かなり実態に近いようにも思う。 明かに掛けた時間に対して残るものが少ない。 問題を解くまでにかかる時間は短縮されているが、 学習効果は低下しているので、掛けてる時間はより無駄になっているようにも思う。
アクティブラーニングという話でもあるよな。 答えを読むより解く方が勉強になる。 計算も人の計算を見るのではなくて自分で計算してみた方がずっと理解が深い。 LLMとの対話は、対話をするという点では単に読むだけよりアクティブな部分もあるが、 自分で調べてまとめたりするのに比べるとアクティブさに欠ける。 実際問題として、台風の前のログを見ると、あまりアクティブラーニングになっていない。
感覚的には、答えに到達するのが目的な事もあるが、全部がそれだけでになってしまうのは駄目な気もする。 このたくさんのログの幾つかは、たぶん自分で解き直して習得した方が良いものを含んでいて、 幾つかはその場で捨ておいて良いものなのだろうな。