【書籍】ソーシャルメディアプリズムを読んでいて、50代はインターネットとかSNSのコミュニティ的なものについての活動でもしようかなぁ、と思った時に、 50代という事を考える時期に来ているのだな、と気付いた。

現在自分は40代の終盤。まだ数年あるが、一方でここまでやってきた事と同じ事をやるくらいの時間も無く、 今やっている仕事もまだメンテナンスフェーズまでは時間が掛かるのでしばらくは続く事を思うと、 40代で何をやるかはもうだいたい結論は出た。結果がどうなるかはこれからだが、今後に変わるのは成功か失敗かであって、何をやるかでは無さそう。

そう考えると次の大きな仕事を考えるのは、50代をどうするか、少なくとも50代の前半をどうするか、という話になる。 50代。もうそんな歳か〜。なんかこの、もうそんな歳か〜という事を書きたくなったのがこのエントリ。

プログラマ人生を考えると、中心的な仕事というのは20代、30代、40代くらいなのかな〜、という気がする。 20代の前半が大学院などでそれなりに消費される事を思うと、40代の占める割合は結構多い。 その40代の終わりが見える所まで来ている。 良し悪しはおいといて、プログラマ人生のアウトプットの少なくとも半分以上、下手したら7割以上はもう過去の話なんだなぁ。 うーん、歳をとったなぁ。

自分が50代に何をやろうか、と素で考えているのは、違和感というか驚きというか、信じがたいものがある。

40代に何をやるかは考えた方がいい

XX代に何をやる、みたいな話は、恐らく20代ではそこまで重要でも無い。というのは10年が長すぎて、きっと考えた事とは違う事をやる。 30代はそれよりは意味があるかもしれないが、やはり前半と後半くらいでは結構違う気もするので10年を考える意義はそこまでは無い気もする。

だが40代は、少なくとも自分は考えた通りになった。だから40代に何をやるか、というのは考えておいた方が良かったという実感がある。

これはストイックに目標に向けて日々頑張ったとか、世界は自分の思い通りになるとかそういう話ではなくて、 40代は割とすぐに終わってしまうので、最初の方に「よし、40代はこれをやろう」と着手したら、気づくと終わっていた、という話。 だからむしろ、惰性の結果思った通りの40代になる、みたいな意味合い。

でもだからこそ、40代にXXをやろう、と決めておくのは、当初思っていたよりも重要だったと思う。 たぶんこうした事を考えないと、気づいたら40代終わってた、となって、なんか何もやってなかったな…となりそうなので。

そういう訳で40代は何をやったもんか、というのは考える意義が大きかったので、50代もそろそろ考えていかんとなぁ、という気分になっている。

50代に何をやったもんか

という訳で50代は何をやったもんか。

まだ結論はでていないし時間もまだあるので考え始めた、という段階だが、ぼんやりと思っている事として、以下がある。

  • 生物に関わる事
  • 日本にredditに相当するものが無い問題について何かしたいかも
  • ビーチで文章を書く

どれをやるかはまだ決めてないが、こんなあたりをやりたいな〜みたいな事をぼんやりと考えている。

全然具体的に何かという話では無いが、そのぼんやりとしたものを書き留めておきたい。

生物に関わる事をやりたいかも

40代には生物を良く勉強したが、これがなかなか興味深いと思っている。これに関わるプログラムとかをやりたいなぁ、という気はちょっとしている。 それが何なのか、という具体的なものがある訳では無い。 なんか生物面白いので学ぶ以外にも生物に関わってもいいのでは?という気がしている、くらい。

歳をとってきて、健康とかへの関心もより高まってきているので、医療という面からも生物学に関する関心は高まっている。 なんというか、価値のある事という気がする。

なんか価値のあると思う事をやりたいなぁ。くだらないと思う事に時間を使うのでは無くて。

日本のredditに相当するものが無い問題について何かやりたいかも

日本にredditに相当するものが欲しい、とは常々思っていて、それについて何かやりたい気はしている。

ただredditと同じものを作ればいい、という問題では無くて、そこに人が居ないといけない。 だからこれはredditみたいなサービスを作る、という話というよりは、 もうちょっと日本のSNSとかインターネットコミュニティみたいなのの次世代をデザインする、 みたいな話だと思っている。

自分としてはblogとかweb日記の時代が好きだったので、そういう何かの方がいいかもしれない。 その辺の事は何も具体的なアイデアがある訳ではない。 ただ自分が何もかかわらずに世の中の流れに任せていていいのだろうか?という問題意識を感じている。

このインターネットコミュニティの今後には高い関心を持っているので、自分でやってもいいかもな、とは思っている。

ビーチで文章を書く

今日は凄くいい天気で、奄美大島はちょっと夏っぽいビーチになっていた。半袖半ズボンでちょっと暑い。 で、自分はこういうのが凄く好きだ。

このブログとかもビーチで書きたいなぁ、と思ったが、ノートPCはいまいちだ。 太陽光では画面は見えないし。 やっぱりE-inkのデバイスにキーボードつなげるとかがいいんじゃないかなぁ、という気はする。

これは一つ前の項目とも関わるが、たぶん自分はブログとか文章を書く、という事を、かなり重視している。 ブログを書いている時は幸せを感じるし、そういう事を今後もやっていきたいと思っている。

そしてビーチで文章を書くのは、思えば昔からそういう事をしたいと思っていた気もする。 20代には良くビーチで論文を読んだりしていた。 30代の頃は、バックパッカーとして東南アジアなどで良くビーチで日記を書いたりしていた。 あの頃は紙のノートにボールペンだったが。 紙のノートとボールペンは自由でいいんだけど、書いた結果を残す方法に不満があった。

最近サーフィンが自分の生活に重要な地位を占めている事、 Android用のエディタは長い事そのうち作りたいと思っていた事と合わせても、 50代はこの辺を取り組むのがいいんじゃないか?という気はしている。

これは上2つに比べるとすぐに終わりそうなので50代というには短いかもしれないが。 実際に環境が出来たらしばらく文章を書きたいと思っているので、 その文章を書くというのも含めて50代にやりたい事なのかもなぁ、という気がしている。 エッセイスト、という訳じゃないが、そういう感じ。

50代でやりたい事って何かな〜とぼんやり考えた時に、 ビーチで文章を書いている自分はイメージしやすく、自分のやりたい事って感じはする。 文章を書くというのはやりたい事に思うし、それをビーチで行うために発生する問題をプログラムで解決していくのは自分に向いているような気もする。

50代の人生後半感がやばい

50代でやる事を考えていると、だいぶ視界に60歳が見えてくる。 もうそんな歳か!やばいな!

30代、40代でメインのアウトプットを終えて、 50代はそこから少し外れた何かをやりたいかなぁ、という気でいるが、 それは逆に言えばもうメインのアウトプットが過去のものである、 という事だ。 さっきも言った事ではあるのだが、 なんというか、その事実に直面すると、 マジかーって気分になる。

もうメインのアウトプットが終わったんだなぁ、と思うと、 人生の終盤についても思い浮かんできて、 自分はどうやって死んでいくのか、とか、自分の人生はどういうものとなるのか、 とか、そういう事を、考えるというほど具体的では無いにせよぼんやりと思う。 そういう事を思っている事がまた人生がそういうステージに入っているんだなぁ、という実感を追加していく。

50代、まだまだやりたい事はやれるが、恐らく人生で「やらなくてはいけない事」は、もっと前にやっておくべきという年齢でもあるよな。 まだ終わってないなら続けるのは構わないが、まだ取り掛かっていないならたぶんまずい。

一方で50代が実際に近づいてくると、まだまだ消化試合という訳でも無いよなぁ、という気分にはなる。

最近見てた以下の動画、布袋さんのバンビーナの動画。

Tomoyasu Hotei - Bambina / THE FIRST TAKE - YouTube

4年前なので60歳くらいか?という訳だが、かっこよすぎる。やばい。こんなおっさんになりたい。渋すぎ。

こういうのは、過去にバリバリやった後の50代、60代なので醸し出せる渋さだよなぁ。 50代から頑張ってやれるものでは無いが、50代にこそ輝けるものもあるよなぁ。

Kirk Fletcherのyoutubeチャンネルとかもsubscribeしているが、現在はKirk Fletcherは50歳くらいか。 ブルースマンは中年になってこそ出る渋さみたいなものもあるよな。

そういう訳で50代には50代の良さがあるよなぁ、という思いもあり、 自分もそういう感じのおっさんになっていきたい所存。