日々の仕事が人生でやった何かになっているか?
日々の仕事というのが、自分が人生でやった事の結構な部分を占める事になる。きっとこれは、仕事の自己実現みたいな話なのだろう。 この話は定期的に思う事で、たとえば以下と同じ話である。
今やっている事がプログラマとしてやった事になるんだなぁ - なーんだ、ただの水たまりじゃないか
それぞれ違うきっかけで同じような事を考えるのだが、きっかけが違うので微妙に考えることも違うので、それを残しておく。
毎日の仕事が人生における仕事のカテゴリーで何をやったのか、になるというのは、40代の後半には実感としてとても強く思うようになった。 一方で、後で考えた時に何かをやったと思えるかどうかには、仕事によってかなり差がある、という気もする。
職場環境が悪化して転職を検討しよう、みたいな話は昔からちょくちょく周りにある。まぁみんなあるだろう。 でも40代くらいになると、何をやってきたのか、というのはどうしても問われてしまう。 こういう時に、「自分は何もやって来なかった」という人が一定数居る。 何もやってない、という事は無いはずだが、少なくともそれを他人に説明は出来ない。 転職に限らず、自分がやってきた事は「特にない」という話はそれなりにある。 例えば皆も本を書こうぜ、みたいな話をした時などだ。
職種を超えて考えると、何をやってきたのか、というのに「別段何もやってない」というのはそこまで珍しい事でも無いのかもしれない。
ただプログラマだと、そこまで特別な何かを成し遂げた人だけが何かをやったという感じになる、という訳でも無く、 各時代各時代でそれなりのプロジェクトに参加していれば、 それぞれの時代にそれをやった人、にはなる。
プログラムは比較的短期間でトレンドが移り変わるので、10年前にやっていた事は、10年前にはありふれていた普通のことでも、 10年後の今から見れば十分に特徴的な何かであったりもする。 だから各時代ごとにそれなりにトレンドに合わせてやる事を考えて選んでいれば、 それなりには何かをやってきた仕事人生となる。
一方でなんでも「これをやった」という感じになるか?というとそうでも無い。どういう事が何をやってきたのか良くわからない、という事になるだろうか?
例えば、ずっと同じ会社に居てずっと同じような仕事をしているケースでは、何をやってきたのか良く分からないまま40代になった、というパターンはそれなりにありそうに見える。 一方で同じ会社でずっとやっていても、割とやってきた事が明確になるような、ちゃんとした実績があるケースもそれなりにある。 特に大きなプロジェクトやロングセラーのタイトルをやってきた、という場合は、それがある程度時代性を持つのもあるし外部にも分かりやすいなどの理由もあって、 実績となりやすい気がする。
転職を繰り返していれば何かしらはやってきたとなりやすいのか?というと、まぁなりやすいように見える。 ただ、それぞれの仕事がどれも何かをやった感じまで行かない、というケースは多少見かける。 全ての仕事が小粒過ぎたり、何かしらの自分の能動的な考えのもとに分野が選ばれていないと、 単に色々やってました、というだけで、何をやってきたのかはうまく言えず、自分でも良く分からない、というケースは見かける。
仕事、どちらにせよ結構な時間を費やす事になるので、どうせなら後から考えた時に「これをやった」と思えるようなものをやっていく方がいい気はする。 歳を食うと皆思うだろうが、本当にあっという間に歳は食うので、とりあえず今やっている事が自分のやった事になる、と思えるような事をやっておく方が無難じゃないか。
凄い事をやって「俺がやった事はこれだ!」という方がいいとは思うけれど、 凄い事をやるのは難しい。 けれど「凄い事」と「何をやったのか自分でも分からない、何もやって来なかった」の間にはグラデーションがある。 何をやったのか分からない事をやって人生を終えてしまうのは、なんだかつまらないように思う。 とりあえず今やる事が、あとで「俺はこれをやった」と思える程度のものを選んでおくのは、最低ラインとして死守していくのがいいかもしれない。
自分の事を振り返ってみると、携帯電話のブラウザの仕事をしていたのは、結構色々な所で自分のやってきた事を形作っている気がする。 .NETとVisualStudioやWindowsに多くの時間を費やしてきたのもそれなりに過去になっているように思う。 ブラウザやASP.NETなどのwebとWindowsやAndroidなどのネイティブGUIの両方を持つのは自分のやってきたものになっているように思う。 他にも、それなりにどの仕事もやってきた事として言えるものになっているな。 やはり各時代ごとに、その時期に何をするべきかを考えて選んだ結果なので、 「何をやってきたのか自分でも分からない、何もしていない」という事にはならない気がする。
自分の事は置いといて、まさに今進路を選んでいる高校生とか、かつてそうやって選ぶところを見てそのあとの20代後半、30代の今に途方に暮れている人など、 色々と見て、仕事で何をしてきたか、って結構重要だよなぁ、と思う。
かつては何かをなそう、と思わない人生などという事を考えていた時期もあるが、 40代も後半になってくると、やっぱり何かはやった方がいいよなぁ、という気分になっている。 普通に仕事をして給料をもらって、日々楽しく生活が出来ていて、将来についてもそれほど強い不安がある訳でも無い日々ならそれでいいじゃないか、 と言われるといいような気もするが。それに頷くのが歳とともに難しくなっているような気もする。
もちろん仕事である必要も無いし、もっと凄いことをやってもらって構わない訳だけど、そういう事をするのは結構大変だ。 仕事でとりあえず「まぁこれはやった」と40代の後半になって思える程度の事をやるのは、 最低ラインとして期待してもいいのではないか。 なんというか、そこを死守しないと本当に何をやっているのか分からないまま時が過ぎてしまう事はあって、 それはなんだか寂しい。
親が人生の終盤という日々を過ごしていて、自分が中年の終盤という感じの時期になって、 「何かをやった」というのは昔思っていたよりは大切なんじゃないかなぁ、という気はしてきている。