加齢による衰えや変化のメモ
ここ数年で、加齢の影響で自分の中で変わった事が結構ある。 それぞれ何歳くらいの頃に変わったか、というのは意外と曖昧なので、 それをここにまとめておく。 そんなものをまとめて意味があるのか?という気はちょっとしたが。
30代後半から40代への変化、という感じ。
39歳 カツカレーが好きでは無くなり、アジのたたきが好きになった
2018年ころに那覇で突然カツカレーが好きでは無くなって、結構驚いている。40歳のころ。 これは那覇にはカツカレーはハズレが多いという問題もあって帰ってきたあとにもいろいろ確認していて、 確かに那覇はハズレが多かったという結論も出しているが、以前はハズレでも割と大好きだったので、許容カツカレーゾーンが狭まったのは間違いない。 カツカレーはかなり好きなものだったので、自分の中で加齢で一番象徴的だったのがカツカレーが好きでは無くなった事だった気がする。
その反動かどうかは分からないが、アジのたたきがめちゃくちゃ美味しいと感じるようになった。 これはいろいろな所の海鮮を食べた結果当たりにあたって美味しさに目覚めただけで加齢が関係あるかは分からない。
脂っこいものがダメになるというのは良く聞くが、 カツ自体は結構好きなままで、焼き肉や唐揚げとかも別段ダメという気はしない。 ただ健康を考えてあまり食べなくはなったが。
個人的にはカツカレーが好きでは無くなったのは残念だが、その分好きになったものの喜びも大きく、 全体としては残念というよりは加齢の結果嗜好が変わっただけで、人生の喜びという点ではあまり変わらないか、 むしろ好きなものの多様性が増して食の喜びは増したような気もしている。
40歳 夜行バスや徹夜が無理になった
徳島に夜行バスで行き来すると頭痛がするようになり、これが一日以上直らないようになった。 何度か試したが毎回再現する。 距離の問題もあるかもしれないが、37歳くらいの頃に新潟を夜行バスで往復している時はそこまで酷い事にはなっていないので、 これは加齢の結果なんじゃないか、と結論づけている。
カツカレーに続いて夜行バスがダメになって、これは歳を食って30代が終わったって事だな~、とか思っていたりした。 明白に加齢の影響と思える象徴的なものが、カツカレーと夜行バスだ。 他の項目は加齢以外の要因も混ざっているのでそこまで明確では無いが、この二つだけは明確に加齢の結果と思っている。
夜行バス以外でも他人の家に泊まっても似たような頭痛が起る場合が増えた。ただこちらは夜行バスと違って再現度百パーセントでは無い。 ただその結果として、ちゃんと寝るように計画するようになった。
人生に対する影響という点では、 夜行バスの楽しさみたいなのは確かに失われたけれど、 一方でそういうのはもうさんざんやってもういいかな、 という気分にもなっているので、 別にいいか、と思っている。
昔よりも安くあげる必要も無くなっているので、普通に新幹線使ったり一泊したりするで良い気がしていて、 これもライフステージの変化という感じでそんなに悪くなったという気はしていない。
ただ他人の家に泊まったりするのが億劫になったのはマイナス面もある気はしている。
42歳~44歳 全力で運動すると翌日頭痛で一日回復しない事がたびたび起る
これは夜行バスと同じかもしれないが、いつから再現していたのか厳密には分からない。 42歳くらいの頃から、全力でウィンドサーフィンなどをすると夕方くらいに頭痛くなってきて、それが翌日も続く感じになってきた。 それ以前は全力で運動しても、疲れが残る事はあっても頭痛などで一日を無駄にする、という事は無かったが。 この頃から疲れても気合で頑張る、というのは、かえって健康的な日常を害するので避けるべき、と思うようになった。
ただ夜行バスに比べて再現条件が分かりづらく、徐々に慣らしていくと平気になったりする気もする。 また、運動のあとの食事などの問題だったり、電解質が足りてないなどの熱中症的な問題の場合もあるかもしれないとも思っている。
人生に対する影響としては、限界でも根性で頑張って無理するのは若者的な楽しさもあったと思うし、 それが失われた残念さはあるかもしれない。 ただそういうのは若いうちだけでいいよな、とも思うし、今やりたい事でも無いので単に歳相応とはそういう事かな、という気もしている。
ただ後述するが、体力は落ちていない。
体力が落ちるのなら残念かもしれないが、無理が効かなくなるだけなら、そろそろ無理せずやっていく方がいいかもな、という気がするだけで、 そこまで残念とも思っていない。
42歳~ 老眼が始まる
40歳の時点では老眼は特に無い、と言っている。42歳の時には老眼対策の話をちょくちょくしているので、この辺で老眼になったらしい。
40代後半の現時点でも、自分は老眼の影響は軽めに思う。 数年前に老眼鏡を作りに行った時も眼鏡屋さんにそう言われたし、老眼鏡を作ったけれどそんなに使う機会は多くない。
ただそれでも影響はそれなりにあると思う。
まずカップラーメンとかの作り方の説明は読めない。栄養表示のカロリーやタンパク質も数字が見えない事はある。 ただこの辺はスマホの拡大鏡アプリで割と解決出来ている。
タブレットやノートPCのサイズは大きいのを好むようになった、 昔はタブレットは7インチから8インチが良いと思っていたが、最近は11インチ以上がいいと思っていて13インチでもいいのでは?と思う事も多い。 ノートPCも軽くて小さいのから、画面が大きいものを好むように変わった。 その結果少ない荷物で放浪するスタイルから、 重い荷物を前提とした移動にライフスタイルも変化してきた気がする。
以前は紙に印刷した論文を読むのが好きだったが、最近は拡大出来る電子の方を好むようになった。
ただ、影響は思ったほど大きくも無い。 老眼鏡は作ったのだが、思ったよりも使っていない。 本の電子化が進んだ結果、デバイスで割と片付いている。 テキストを読む時間は減ってない、むしろなろうやカクヨムは明らかに増えている。 もうちょっと眼精疲労で長時間画面が見れなくなるとかを恐れていたが、 そういうのは今の所無い。多少疲れやすくなっているかもしれないが。
40~45歳 他人との施設の共有の抵抗が増し、シェアハウスはもういいかと思うように
那覇の時もやや感じていたが、そのあとの秦野での他人との生活で、トイレの使い方が汚い住人がいて、それが結構嫌だった。 それ以前にも居たのだが、それ以前はあまり気にしていなかった気がする。 それまでは、基本的にはシェアハウス暮らしの方が一人よりも良いと思っていた。 以前から「ここは無いわ~」というシェアハウスはあったので当たりはずれの問題の範疇なのだが、 秦野あたりからストライクゾーンが狭まっていった気がする。 トイレの使い方が汚い人と住むのは嫌だな、と明確に思ったのは秦野だった気はする。
トイレやキッチンの使い方の次に気になるようになったのは他人の騒音。 これもシェアハウスは基本的には普通のアパートよりもはるかにうるさいもので、 以前からうるさかった。 これはひどすぎ、と思う所も前からあった。 ただ40代に入ってから寛容さは減っていったように思う。
ただこれはカツカレーや夜行バスのように、突然これは無理、となったという感じでは無く、 年々ちょっとずつ進行した。
41歳の頃に駒込に住んだ時はシェアハウスの良さよりもうんざりさを感じる事が多かった気がする。 そのあとに42歳から金沢八景のシェアハウスに住んでいたが、この頃には共有の嫌さの方が大きくなっていた気がする。 シェアハウスの気軽に引っ越し出来る良さは良いと今でも思っているが、 人と暮らす良さは、もうメリットでは無くなっている。
新型コロナの流行で人と近い事のデメリットを感じる度合いが増えたり、その余波もあっていろいろシェアハウスがつぶれたりとかの影響があった事もあり、 加齢の影響だけでは無いが、 シェアハウス暮らしはもういいか、と思うようになった。
シェアハウス暮らしは三軒茶屋以降割と長く、30代はほぼシェアハウスに暮らしていた時代だったので、 これが終わったのは自分的には大きな節目に感じた。
貧乏なシェアハウスは割と面白さもあり、そういう所を転々とする生活は楽しかった。
ただシェアハウスはもともとそんないいものでも無いので、 もういいか、という気持ちも結構ある。 もう十分やったので、惜しいという気持ちはあまり無い。 この辺は若くて貧乏暮らしみたいなのが楽しめるから楽しかったのであって、本質的にはまともな暮らしの方がいいのは当然といえば当然である。
また、シェアハウス暮らしで無いとはいえ、40代後半も普通に冬の間は奄美に居たりして宿暮らしが一年の1/3くらいな訳で、 完全に変わったというよりはカスタマイズして今のスタイルに調整した感じにも思う。 他人などの騒音に対する不寛容さも、それだけ聞くと随分偏屈に聞こえるが、 現在のアパート暮らしではそれほど不満に思っている訳でも無いので、 もともとがひどすぎただけで、おそらく平均よりは相変わらず気にしない方な気もする。
ただ前よりも人と暮らすよりも一人で暮らしたいと思うようになったのは間違いない。 この辺、うっかり30代とかに結婚したりして40代にこう思うようになったら悲惨だよなぁ。 まぁそうなったらそうなったで何かしら順応出来るのかもしれんが。
一人で暮らす事により価値を感じるようになったので、30代後半よりは独身で居たいと思う気持ちは増した気がする。
35歳~ 親と過ごす時間が増えた
これは結構長い期間にわたる話だが、35歳くらいからたびたび親の家に泊まってウィンドサーフィンなどをやるようになり、 その比重は数年ごとに増えて、42歳くらいからはかなり良く親と過ごすようになった。
自分は家を出たあとは長らく親とはあまり会ってなかった。 別に仲が悪いとかそういう訳では無かったのだが、もともと好きに生きているタイプの親だったので自分も好きに生きていたため、あまり接点が無かった。 10年くらいほとんど会ってなかった気がする。 年末年始に帰ったりもしてなかったし、家の親族コミュニティの中に自分は居なかった気はするし、居たいとも思っていなかった。
それがバイクを買ったあたりからバイクで家にたまに帰るようになり、そこでウィンドサーフィンなどをやるようになり、 だんだんとその比重が上がっていった結果、親と過ごす時間は増えていった。
Covid-19であまり動かなった結果もあり、最近は友人よりも親と過ごしている時間の方が長い気もする。サーフィンしている時間が長い結果というだけかもしれないが。
ただ回りを見ても親と過ごす時間が増えている人は多いので、加齢の影響もあるのかな、と思う。 親は結構いい年なので、元気なうちに一緒に遊んでやろうという気持ちはそれなりにある。
42歳~ プログラマとして何か凄い事をやりたいと思うように
これもだんだんと変わっていった所なのでいつから、と明確には引きづらいが。
35歳くらいの時点では、何かをやりたいとは思っていなかった。>何かをなそう、と思わない人生
この当時、4年前くらいから、と言っていて、それはVistaが終わったあとの事だと思うので31歳~30代中盤くらいはそうだった。
それが40歳くらいの頃から、 一年の振り返りをする時に「日々を楽しく生きてはいるが、アウトプットがしょぼくてこれでいいのか?」的な事を考える事が増えている気がする。 そして42歳くらいから今の仕事を始めた訳だが、 この時には割と明確にプログラマとして何かをやりたい、少なくともそれにチャレンジしたい、と思うようになった。
自分はやはりプログラマであり、プログラマとして何かしたい、と思うようになった。 これは明確な心境の変化だ。加齢の為かどうかは良く分からない所もあるが。
これは20代に思っていた事と似ているので、なんかこう、一直線に老いていく感じとは違っていて、行ったり来たりする何かなのだろうな、と思う。 でも自分の40代としてはこの影響は結構大きいので、 無視出来ない要因だ。
30代前半に「もういいかな~」と思っても、40代くらいから「いや、やっぱ良くないのでは?」と思う事もある、という事だろう。 また、やってみたい事を一通りやってみて、そのあとに残った何か、という事のようにも思う。 これは40代っぽいかもしれない。
44歳~ 知らない所に行きたいとあまり思わなくなる
30代は知らない所に行ってみたい、という思いだけで生きていた気がする。 シェアハウス暮らしは違う所にすぐに行けるためにやっていた部分がある。 そして世界にはまだまだ行って無い所がある事を考えると、すぐにでも行きたいと思い、 生涯で全部は行けない事を考えるととても残念に思い、 少しでも多くの場所に行きたいと思っていた。
でもCovid-19の影響で定住が長引いて、それに合わせて生活スタイルも変えて、 そのほか様々な影響があった結果、気づけば生涯見る事が無い場所がある事にも、それほどの焦燥感のようなものは感じなくなった。 いろいろなものを見たい、と思う時期は、自分の中では終わったのだな~と思う。
今でも行ってみたいと思う所はあるし、行く予定でもあるが、見ないまま死ぬ事が残念でならない、というような強い思いは、だいぶ薄まった。 割といろいろ見て満足した、という事のようにも思う。
45歳~ なぜか肩こりが直る
38歳くらいの頃、肩こりが酷くなって困っていた。 仕事の継続にも影響が出るほどの酷い肩こり具合で、歳か?とか思っていた。
けれど最近は無くなった。外部ディスプレイを使わないとか、膝の上テーブルとか使ってPCの位置をちょくちょく動かしているとか、 サーフィンが肩こりに良いのか?とか、いろいろ考えられる理由はあるけれど、何が良いのかは分かっていない。 とにかく年々減っていって鎌倉に引っ越したあたりからはほとんど肩こりで悩む事は無くなった。
理由は分からないが無くなったのは間違いない。 自分は30代後半にいろいろ衰えた事に、40代からは適応が進んできた結果対策が出来たからなんじゃないか、という気がしているので、 これは加齢の良い影響という認識でいる。ただし本当の所は良く分からない。
46歳~ 体力が増した
40代の前半くらいから無理をすると頭痛がするようになって翌日一日寝込むはめになる話はした。 だが40代の中盤くらいからはそれに適応した感じで追い込めるようになってきた。
その後何年かハードに運動を続けた結果、最近は少なくとも30代中盤以降では最大の体力を誇る状態になっている。 それは30代よりも最近の方が運動量が圧倒的に多いからで、加齢の結果とか加齢が関係なく、むしろCovid-19の流行の副作用という側面が強いが。
ただ加齢の結果無理が効かなくなる、という所には一貫したトレンドのようなものを感じるが、 無理をしないで出来る範囲で出来る事が増えていく、というのは40代中盤以降の傾向としてある気がする。 40代中盤というのを考える時に、意外とそうした衰えに対する対応がうまく行く時期、というのは特徴としてあるのかもしれない。
自分の場合は30代にそこまでハードに運動していなくて健康維持目的くらいだったので、その差から今が一番体力があるかも、という状態になっている。 一方で40代は30代とは違う事をやっていくのでそれまでやってなかったから、というのがあるのは自然なのかもしれない。
健康に対するプライオリティは、年々上がっている
これは何歳から、というのは無いが、着実に年齢を重ねるごとに優先度が上がっている。
もともと自分は、20代の頃から割と健康には気を付けている方だったと思う。 たぶんアメリカ出張から帰ってきたら80kgくらいに太っていて、これはやばいとプールに行くようになったあたりから、 割と健康は気にしてる。あれは24歳とか25歳とかだったと思うので、今回思う加齢の影響よりも前からの話だ。
けれど、健康の意識は加齢とともに何か不調に遭遇する都度高まるものに思う。
知らない所に行きたいという思いが減ったのは、病院へのアクセスという要因は間違いなくある。歯医者に頻繁に通いたい、とか。
全体的な雑感
30代のスタイルが、30代の終盤あたりでいろいろときつくなってきた。 だが40代前半にそれを前提にいろいろ変更したら、思っていたよりも割といい感じになった気はしている。
30代と同じように同じ事をやろうとすれば衰えを感じる事が多いが、 同じ事をやりたいとも思わないので、違う事をなかば強制されるのは、結果としては思ったほど残念な事でも無かった。 野宿とか車中泊とか夜行バスとか、若い時に楽しいからといって歳とって続けたい類のものでもそもそも無い。 グリーン車や新幹線やホテルでいいっすよ、みたいな。
他者への寛容性は大きく下がった気がする。 もともとが、ドミトリーに住んだりしていたのは気にし無さ過ぎだった状態と思うので、 現時点ではそれが並みくらいになった、というような認識ではいるが、 こういうのは自己認識が客観的な度合いと一致しなさそうな所でもあるし、 さらに加齢が進んだ時にもっと寛容度が下がって問題にはなるかもしれない。 ただ現時点ではCovid-19で社会が全体的にちょうど他者と距離を取るようになったため、 むしろちょうど良かった感じはある。 結婚していたりマンションを買ってしまっていたりローンがある中仕事が辞められない状況で職場の人間関係に悩んだりしていたら、 もっと困った事態になっていた気はする。30代の終盤にこんな変化があるとは思っていなかったところなので、それで大して困らない状態だったのは運が良かった。 今後は生きづらいレベルで他者への寛容さが失われないように出来たらいいな。
プログラマとして何かやりたいと思うようになる意欲とか、体力が意外と増すとか、 思っていたのとは違う所も結構ある。
無理をした時にしばらく頭痛に寝込む事になるのはいろいろな所で自分のライフスタイルに影響を与えている気もする。 これは原因が良く分かっていないのでひょっとしたら何か解決策があるかもしれない一方で、 ヒューズとかブレーカーのようなものと思っておいてそもそも無理しない方が良いような気もしているので、 解決するよりは無理しない方向で対応していて、上手くいっている気もする。
全体として加齢の影響は明らかにあるのだが、その結果は案外悪くない所に落ち着いている気がする。