プログラマたちの業務外テック活動 – Spinach Forestを見て、 自分の環境の実体と何かズレがあるな、と思い、それについて考えてみる。

まず、同僚が仕事以外でプログラムをしているか、 という話を考えてみるが、 同僚が仕事以外で何をしているかは、自分は全く知らない。 そもそもにフリーランスでしかもフルリモートで必要なコミュニケーションは必要最小限になるように努力している(和訳:ミーティングとか嫌いなのでサボってる)ので、 同僚と話をするのは、仕事で何か必要がある時にslackで話すだけで、 その時にプログラムとか製品のドメインに関わらない雑談のようなものはする余地が無い。

そんな訳で、たぶんあまりしてない人が多いんじゃないか、というのは、正直良く分からない所だが、まぁしてない人が多いかもな、という気もする。

一方で、自分の周りで業務以外のプログラムの話をする機会というのはすごく多い。でも相手は同僚では無い。 最近はあおぞらAndroid教室で友人知人にプログラムを教えているが、この時にプログラムの話を良くしている。 この相手は友人だったり親族だったりするので同僚では無いし、 何人かは仕事にしたくてやっているので転職活動とかの勉強とも言えるが、小学生とかは塾の習い事とかと同じような扱いになっていて、 業務というのともちょっと違う気がする。 何よりやっているこちらがわは業務からはかけ離れている。

もともとの問題設定として、同僚が仕事以外でプログラムをしているか、というのと、 自分が趣味のプログラムの話を人とどのくらいしているか、というのは、自分としてはかなりズレている話に思う。 仕事はたかが仕事であって、自分のプログラムの中のごく一部しか占めない。 自分の生活の中でもごく一部しか占めないし、 例えば一番多くあって話をしている人間は地元のサーファー仲間だが、これは仕事とは一切関係が無い。 一番多くプログラムの話をしている友人も教室で教えている相手であって仕事は関係ない。 そもそも生活の中に占める仕事の時間はそんなに長く無いし、そこでは仕事しかしていない(仕事の時間だから)。

これはフリーランスとかセミリタイアとかフルリモートとかそういうライフスタイルの話ではあるのだが、 元々のコンテキストというのとも関わりがある気がする。

もともとの話というか背景にあるのはたぶん、若い頃は勉強会をしたりとかプログラムの話をしたりとかというのは仕事の外で多くやっていた、という事のように思う。 この人間関係というのは仕事ともっと曖昧につながっていて、 仕事の同僚である場合もあれば仕事と関係ないつながりであった場合もあったと思う。 それがライフステージが変化して、プログラムの話をしていたのがより家庭的な事とかそれ以外の話になっている、という話なんだと思う。

新人の頃の方が新しい事を学ぶ事が多くて、結果として技術的な話題がより業務に固定されない広いものになりやすいというのはあるかもしれないし、 ライフステージ的にプログラムに時間を掛ける人が同僚に多い、というのは、まぁそうでしょうね。

でもライフステージが同じでも、例えば今教えている友人などはプログラム素人で学ぼうとしていて、 新人や学生が学ぶのと同じような事を学んでいて、会話の内容も同じようなものになる。 ライフステージだけでは無くて、プログラムの習熟度とかも組み合わさって、 同僚、というカテゴリがプログラムを業務以外でしない人カテゴリになったような気はする。

元々、仕事の仲間であるかどうかという事の前に、もう少し大きくプログラムをする人、プログラムが好きな人同士でのつながりであって、 それがたまたま仕事のつながりでもある場合があった、というだけなのでは無かろうか。 同じ業務というラベルで中身が変わっているというのはあると思うけれど、 やはりラベルはあまり重要では無くて、自分が1日の時間を何にどれだけ掛けているかという話なだけでは無いかなぁ。 昔だって仕事以外にプログラムしてない同僚はたくさん居たし、そういう人とそういう話をしたければ出来たと思う。

自分は業務以外のプログラムの時間は明らかに昔よりはるかに増えている。業務あんましてないからね。 プログラム全体に掛けている時間は減っているか似たりよったりか、って感じかなぁ。

例えば今日書いていたのは ツアー副読本:コレクション - karino2のあおぞらAndroid開発教室 だが、 少なくとも業務は関係無いし、凄い時間は掛かっている。 これを友人にやってもらって反応をもらって直して、みたいなコミュニケーションは、 自分の感覚としては昔のweb日記に掛けてた時間と似た何かに思う。