他人に向けての発信
twitterとかが気軽に書けるのは、それが他人に向けてでは無い、という体裁のおかげという部分がある。 これはblogでもあった事だ。 掲示板とかIRCは他人に向けて何かを発言する場なのに対し、 blogとかtwitterは自分が好きに発言する場であって、他人を気にする必要があまり無いので、 気軽に何かを書きやすい。 それが更新を増やすので、自分に向けて書くものの方がコンテンツとして見る側が面白い、 少なくとも刺激が来続けるという効果がある。
一方で、twitter以外の発信が無くなっている同世代の人というのがそれなりに居る。 そうすると、他人に向けて発信する場が無くなってしまっている。 他人に向けて発信するのは、自分が好きに思った事をただ書くだけよりも多くを要求されて、 それが面倒さを生んでもいるのだが、ある種の主張に関してはその面倒さは本来あるべきものとも思う。 自分の意見をちゃんと他人に伝わるように書く場が無い、というのは良く無い事なんじゃないかなぁ。
twitterで誰か知らない人にフォローされた時に、その人のTLを見ると、バズっている事のRTとかそれについての誤解を多く含みそうなツイートばかりという事が多い。 TLとはそういう物なのでそれは良いのだけれど、そこ以外のちゃんとその人の考えを知る場がそこからは見つけられない事が多い。 githubへのリンクがある場合は何をつくっているかはわかる場合もあるので一応眺めるが、 ちゃんと他人に向けて自分の考えを発信したものの集まりを読めたらもっとどういう人かわかるのになぁ、と思う。
ひるがえって自分も、もうちょっと自分の考えは他人に向けて発信するようにまとめた方がいいかもしれないなぁ。 このブログももうちょっと主張とか考えを書いた方がいいかもしれない。 c-lessonとかfsharp-lessonはある程度他人向けのまとまった情報発信が出来ていると思う。 ここまで本格的じゃなくても、もうちょっと気軽な奴も増やしたい気はする。
podcastは割と自分の考えを他人に向けて発信していて、これはそういう側面からすると結構いいんじゃないかな、と思う。 やっぱりpodcastで考えを話している人は、どういう人かはわかりやすいよね。フォローするのに手間が掛かるが、 別に少人数を手間を掛けてフォローする、で良いように思う。
そうして考えるとtwitterアカウントにもpodcastへのリンクは貼った方がいいかもなぁ。 ただ自分のアカウントは自分の本へのリンクがトップにあり、これはまぁまぁ自分の人となりを伝えるものではあるので、 結構いいんじゃないか、という気はする。
omo先生なんかが不特定多数では無く特定の個人に向けて発信するのが良いんじゃないか的な事を最近ちょくちょく言っていたように思う。 それはそうかもしれない。不特定多数に何かを言うのは面倒なので、それなら誰向けでも無いという体裁の方が良い、 となってしまって、他人向けの発信が無くなってしまっているのかもしれない。 でも他人に向けての発信であれば、不特定多数ではなくてもいいとは思うんだよな。 対象じゃない人の反応が面倒という事はあるけれど、そもそもそういう反応はスルーすれば良いという気もする。 コンテキストを正確に記述するのは不可能だろうし。 なんかこう、雑誌に載せるエッセイみたいな何かを各自がもっと発信したらいい気がするんだよな。