えらくなるとコード書かなくなる問題 - blog.8-p.infoを読んで思った事として、 会社で作るものは自分のもの的な要素が弱い方が良いのだろうか?

昔この本の旧版で、エゴレスプログラミングという話があった。(というか今改訂版の存在を知ってサンプル見たらちょっとおもしろそうなのでそのうち読もうと思った)

当時は割と自分の考えに近く、仕事というのは属人化しない方がいいとも思っていて、 しかもその後フリーランスになって短期で抜ける前提になると、そうした傾向は自分の中で強まったようにも思う。

また、大きな会社というのはトップがなにかやりたい方向性を決めて、それを各部署がブレークダウンして具体的な仕事に落とし込む、 という傾向もあって、それは仕事のあり方として、一プロフェッショナルとしてそうあるべきもののような気もしていた。

ただ、最近はこの業界の会社が社員に求める事は、そういう事なのだろうか?という疑問も持っている。

めちゃくちゃ自分のものと思うような物を作った方が、会社にとっては良い事も結構多いのでは無いか? そっちの方が情熱を注ぐだろうし、そっちの方がより結果も出しやすい事もあるかもしれない。 そんな風には働きたくないよ、というサラリーマンの立場もあるけれど。

matzの本でプログラム言語の仕様を決めるのは皆で話し合うより一人でえいっと決める方がいいと言っていた(意訳)けれど、 そういうものってプログラム言語の仕様に限らずそれなりにこの業界にはあるのでは無いか? という気もしていて、 そういう時は誰かが自分のもののように振る舞って他のメンバがそれを手伝うというモデルの方が上手くいく事もある気もするし、 別にそれを会社が望んでいないとも限らないのでは無いか?

トラックナンバー1、その人が居ないとこのソフトウェアはおしまいです、というものでも、 十分に価値があって一定の期間大きな利益を会社にもたらしていれば、別にそれはそれでいいのでは無いか。 実際自分はそういうソフトウェアが会社の背骨になっていて会社を支えている、というのを見た事もある。 大企業では無いにせよそれなりに名の知られたそこそこの規模の企業で業績もなかなか良いし、 そのジャンルでは世界に轟いているような企業ではあった。 あれはあれで良いのでは無いか。

仕事に求めるのはそういうものでは無い、というのは理解も納得もできるし、 そうした働き方を社員に求める会社もあっても良いとは思うけれど、 会社でソフトウェアを作るとはそういう事だ、というよりは組織のカルチャーとかの範疇ではなかろうか。

関係無いがこういう話題のやりとりをブログでするの、なんか懐かしい感じがするね(^^;