自分はサーフィンとかは大してうまくない。 例えばこれを、高校生とか大学生の頃に、本腰を入れてやっていたらもっとずっと上手くなっていただろう。 水泳もやはり中高生が本気で取り組んだ時に到達する所と自分の到達点は全然違う(自分の方がしょぼい)。

ギターもたぶんそうと思うし、お絵かきも、もしいまから本腰を入れて絵を描こうとしてもやはり中高生とか大学生くらいのあたりで本腰を入れた方が成長するんじゃないか? これは実は本気でやれば同じような成長率で成長する可能性もあるが、ここではそんな事は無いという事にしておこう。

一方で、新しいプログラム関連の技術が出てきた時に、これをマスターするのは別段中高生に劣る訳でも無い。 中高生が本腰を入れて本気でプログラムに取り組んでも、今の自分が本腰を入れて取り組むよりも凄いアウトプットが出るとは限らないだろう。 30代に結構な時間を費やした数学の学習に関しても、別段大学生と比較して学習能力が低かった、という気はしない。 現在生物を学んでいるが、この学習に関しても学生と比べて劣る気はあまりしない。

学問が加齢に影響が少ない、という可能性もあるし、 身体能力が物を言うようなスポーツでは年齢はクリティカルな要因と思うけれど、 絵とかギターはそうでも無いだろうし、サーフィンもそういう要素はそこまで大きくも無い気がする。 それよりはたぶん、これは自分がこれまでの人生の重要な時期で何を積み重ねてきたか、という事なんじゃないか、という気がする。

自分は学問を学ぶという事、コンピュータを扱うという事、いろいろな国のいろいろな言葉を学んでいろいろな環境に適応していろいろな地域を経験する事、 に、人生の重要な時間をつぎ込んできたという事なんじゃないか。その結果の今があるという事に思う。

自分はそういう事について強みを持つ人間だ、という事なんじゃないか。

そうした重要な選択は、自分の年齢だと、大部分は既に過去の終わった話で、これからどうするかという話では無い。

なお人生を充実した、幸せな物とするのに、しょぼい事しか出来ない何かが重要な事は当然あって、ここはそういう話をしている訳じゃないというだけ、と最初にことわっておく。別に自分がサーフィンやギターをする事を否定したい訳じゃないし、今後もやるさ。

将来の可能性よりも積み重ねてきた物が重要な年齢

これから新しい事を始めても大した物にはならない、というのは、それだけ聞くと酷くネガティブに聞こえるが、 自分が積み重ねてきた物のそばでは凄い事が出来る、というのは、実際はそんなネガティブでも無いんじゃないか。

言ってしまえば若い頃はその時点では何も凄い事が出来ない状態で、今は積み重ねたもののそばでだけ凄い事が出来る状態と言える気もする。 若い頃に何も凄い事が出来ないは少し誇張しているが、ある種の積み重ねが必要な事は若い頃には難しく、 積み重ねが必要な事には大きな魅力があるとも思う。

若い頃はどのような事も積み重ねる事が出来るという点で可能性は非常に広いけれど、 それでも全部をやる事は出来ず、何かをやる事を選択する事になる。 で、若くない今の自分は、それらのどれかを選択した結果の場所にいる、という事に思う。 今らから選択出来ないのは、その選択が悪い物で無ければそんなに嘆く事でも無いんじゃないか。

ステータスの振り分けが終わり、そこから育てるのもある程度進んだ結果が今なのだ。 前衛として育ててきたものを今から魔法使いに育て直すのが困難だ、というのは、 別に前衛をやりたいなら残念な事じゃない。

分野ごとの重要な選択の時期

そうした選択の重要な時期というのは、いつごろになるだろうか? 以下は大した根拠は無いが、なんとなく自分が思っている事を書いてみる。

スポーツだとかなり早くて中高生くらいにはかなりの選択が行われていて、大学卒業くらいの年齢ではもう選択は終わっているものが多いだろう。 短距離などはピークが20代前半な物も多いだろうし。 技術が重要な物はもうちょっと遅咲きの場合もあるが、 一方で最近は小学校の選択とかから既に重要みたいな物も多いだろうな、という気はする。

お絵かきとかはネットを見ていると高校生から大学生あたりは大きな成長がありうる。社会人初期もまぁ成長がある気もする。 20代後半くらいになるとそもそも絵を描く人が激減してしまうのでよく分からないが、イメージ的には高校から専門学校くらいが凄く成長する時期なんじゃないか。美大とか行くなら高校生くらいに凄い頑張らないとダメなんだろうけれど、自分はそういう美大出た人のなんかとかはよく知らないし大して興味も無いので除外しておく。

ギターとかも高校生くらいから始めてめちゃ上手くなる人はいるし、youtubeの人気講師的な人は中学から高校くらいからめっちゃ弾くようになるパターンが多いと思う。 一方で社会人になってから始めてめっちゃ上手い、という人はあまり見ない。 まぁこれも社会人になると高校生のように練習しなくなるだけかもしれない。分からない。

プログラムなんかはもっと遅くても大丈夫に思う。 中高生の頃マイコンとかいじってた層が、大学になって初めてコンピュータ触った層より優れたプログラマという訳でも無い気がする。 印象として、大学でプログラム始めた、は十分早いと思う。 一方で、30代の後半でプログラマとして凄い成長する人というのはあまり見かけない。 プログラムに夢中になっている人をそもそも見かけないという話はあるが、そのへんが結局謎なのはどの分野もそうだろう。 30代の前半くらいまでで凄いプログラマになるかどうかは決まっているような気がする。 根拠は無いが26歳くらいから凄いプログラマを目指すのは出来る気がする。 31歳からでも出来るかもしれない。 35歳から凄いプログラマを目指すのは難しい気がする。 これは35歳定年説とは違って、35歳から「始める」場合の話。 35歳より40歳の方が凄いプログラマである人は結構居るんじゃないか。 自分も35歳の頃よりよいプログラマになっている気がするし。

何にせよ、40代なら大抵の分野において、すでに自分が凄い何かになりうるかどうかについてある程度の結果は出ていると思う。 もちろん今からの頑張りによって凄い何かになるか何にもならないかの違いはあると思うし、既に結果を出している人も居るだろう。 でもここまで全然やってなかった事をここからやって何か凄い結果を出すのはなかなかレアなんじゃないか。

生み出す物に自分が価値を感じるか

積み重ねてきた物をもとに何かを生み出す、という場合に、それが自分にとって価値がある事、やりたい事であるのが望ましい。

例えば凄い絵を描いてSNSでちやほやされたい!と思っている人がプログラムのスキルを鍛えて絵を描かずにこの年齢になってしまったら、それは不幸な事だろう。 一方で凄いソフトウェアを作り上げる事が凄い事だと思っているなら、それは別に不幸な事では無い。 そして積み重ねてきたものがプログラムのスキルであるなら、当然後者であるのが望ましい。

何が凄い事と思うか、というのは、人による。それが違うのは正しいとか間違っている、という事では無いだろう。 ただ自分が積み重ねてきた物と一致している方がいいよな。 関心が無い事が凄くても仕方ない。お金にはなるかもしれんから全然意味が無い訳でも無いが。

自分は凄いソフトウェアをつくるという事にはとても価値を感じているので、 そういう点において選択にそれほど後悔は無い。 例えばサーフィンやギターをすげーうまくしてやる代わりにプログラムとしてのスキルや適正をすべて失います、とか、 神絵師にしてやる代わりにプログラマとしての能力をすべて失います、 と言われたら、全然うれしくは無い。 そういう点において、自分はプログラマが一番向いていると本心から思っているし、 それの周辺にいろいろな事を積み重ねてきたのは特に問題を感じていない。

全然違う事を今からやるとしょぼい結果しか出ない事も、それほど残念な事とも思っていない。 メインでやる事が凄ければ、他はしょぼくても別にいいよなぁ。エンジョイ勢というか。

だからこそ、今からやる事がしょぼい結果にしかならないという事を頑張って否定したいとは思っていない。 ひょっとしたら取り組み方の問題で、今でも中高生と同じように成長出来る物はたくさんあるかもしれないが、 その可能性を信じて何かをやらなきゃいけない立場にも無い。 積み重ねてきた物で凄い事が出来れば、それで良いし、 それこそが自分がやりたい事でもあると思うし、チャレンジすべき事にも思う。

そしてここまで積み重ねてきたものには、分野の適性にとどまらず、現在の立ち位置としてもまぁまぁ満足はしている。 ここまでになしてきた事はまだまだ満足はしていないが、 積み重ね自体はまぁこんなもんなんじゃないか。 完全にすべてを捨ててアウトプットを向上する為に人生を掛けてきたという訳では無いが、 そういう事も含めてまぁこんなもんだろう、という気がする。 なんか凄い事やりたいもんだ、と思うが、それは過去の積み重ねが足りなかったり誤っていたせいで出来ないという気はしない。

まぁ凄いソフトウェアを作れればいいですよ。問題は凄いソフトウェアを作れるかだ。他がしょぼい事じゃない。