生活水準の向上はいつごろからだったか
今日、雨だったのと日曜で配食サービスが無い日なので、最寄りのデニーズに来てみた時の事。
以前はデニーズって割高で、平日のランチ以外は普段使いしたくないなぁ、と思ってたのだが、今日メニュー見てみるとそんな高い気がしなくなっている。 確かに松屋などよりは高いが、普段ランチに使ってる1000円前後の所のあとにカフェに行くよりも、むしろ割安だ。 ついてきた小鉢のクオリティも高く、値段相応、いや、むしろお得な感じがした。
この前、健康診断で高速に乗った時、以前は東関道を乗るかどうかは毎回結構悩んでいて、渋滞じゃない時は乗らないようにしていたのが、今は下道がすいてようと気にせず乗るようになったなぁ、そうなったのはいつからだったかなぁ、と漠然と思ったりした。
そういえばJRでもグリーン券がまぁ高いけどたまにならいいか、と思える水準にも感じられていて、以前よりも出費について余裕があると思う。 昔、鎌倉に住んで毎日グリーン車で通勤、みたいな話を聞いた時は、ハイソな人たちは違うなぁ、と思っていたが、今自分が毎日通勤するなら、明らかに毎日グリーン車使ってもなんとも思わなくなっている事に気付いたりもする。
実際、以前もっと労働意欲を高めるために、駐車場借りてバイクで首都高で通勤するのはどうだろう?とか考えた事があった。当時の結論は、給料を思えば、それで働く日数が増えるなら、明らかにそうした方が良い、というものだった(なお結局労働意欲が湧かずに実現はしてない)。それを思えば、グリーン車はむしろ大分割安だったりする。
高速に積極的に乗るようになったのは、だいたい育英会の奨学金を払い終えて、また30代の資産運用の成果がだいたい見えてきて40歳の時点の目標に到達出来そうだ、と感じたあたりだった気がする。 37歳とかその辺だったと思う。 同じ時期くらいにジョナサンとかをもうちょっと使おうとか思った記憶がある。
逆に30代の前半でインドから帰ってきたくらいの頃は、まだ高速とか使わずに下道とか357下道とか第三京浜だけとか頑張ってた気がする。 あの頃は持ってるキャッシュが無くなったら働く必要があり、持ってるキャッシュが続く間は無職で旅が出来る、と言う感じだった(運用資産は別になってた)。 だから1円節約すれば1円分働かなくて良い、という感覚で、無駄な出費を嫌がっていた気がする。
今は37歳くらいの頃の感覚より、もう一段上の出費にも抵抗が無くなってる気がする。 これはいつからだろうか? うーん、はっきりと境目は分らないけれど、前回の仕事の結果かもしれない。
前回の仕事は当初のライフプランで必要としてたものではなく、結果として想定してたより300〜400万円くらい余分なキャッシュがある(Covid-19で資産が乱高下したので細かい余剰が幾らかは正確には把握してなくて、たぶんもうちょっと多い)。 もともとの計画がまぁまぁカツカツだったので稼いだ分は全部使おうとは思ってないのだけど、もう一回くらい同じくらい働いても良いと思ってるのも合わせると、むこう2 〜3年でそのくらいの余分なお金を使っても構わない気はしている。しかもそれを使う予定が今のところ全く無かったりもする。
最近は自分のプログラマ人生の代表的な仕事と言うものを成し遂げるためには、もう少し労働意欲があった方がいいのにな、と思う事が増えてる。 だから金をケチるよりは、金で労働意欲を増やせないものか、と考える事の方が多い気がする。 また、ケチらなくてももう労働の必要性は無いので、以前のように使った金だけ無職で居られる時間が減る、とも感じなくなった。 最適化問題で言うと制約が束縛的じゃなくなったのだろうな。