イタリア語を勉強していると、普通語学の勉強は

  • 読解
  • リスニング
  • ライティング
  • 喋る(会話)

の4つに分けられる気がする。 英語とかでもそうだよな。

一方で義務教育とか高校までの国語の授業って、リスニングと会話はあまりやった記憶が無い。 朗読はやったな。あれは喋る練習なのか?多少は練習になるが、朗読で喋れるようにもならない気がするが。 会話は国語以外の、さまざまな授業において、教師と対話したり班で話し合う事で学んでいたような気もする。

でも語学の勉強として見ると、会話系の物が少ない気がするがどうなんだろう?

例えば回りで、podcastとか流行ってるが別段喋りたい事とか無いな、とか、喋るのは敷居が高いな、みたいなのはちょくちょく見るが、 こういうのは国語の授業で克服すべき対象なのだろうか? 喋る事が無いのは違う問題のような気もするが、 30分マイクに向かって喋る事で自分の考えを伝える、というのは、国語の授業のような気もする。 youtubeの喋りとかもそうだよなぁ。

喋りには上手い下手が明らかにあるし、練習でもある程度は向上するので、訓練対象たりえる気はする。 しかも自分の世代ではそういう事が全く出来ない、という人が多い。 これは語学の勉強のスピーキングに類するもののような気もする。スピーキングの練習はスピーチが王道と思っているので、これはかなり似ている。 国語の授業にスピーキングに相当するものがあれば、もうちょっとpodcastとかyoutubeで発信出来るようになるのだろうか?

インターネットの発信では、昔はブログとか絵とか静的なコンテンツが主体だったので、その時の国語は読解と作文が主体だった気がする。 でも最近はブログは衰退傾向で発信はyoutubeとかpodcastに偏っている気もする。 すると喋るという事が重要になってきているよな。 国語の授業というのも時代に応じて重点を入れる項目が変わっていってもいい気もするがどうだろう?

発信する、という能力は語学のコミュニケーション能力の一つではあるとは思うが、それだけという訳でも無いよなぁ。 ようするに、喋りたい事が別段無い、というのは、国語の能力の問題なのか、国語の能力が十分にあっても変わらない別の理由なのか。 実態は間の曖昧な所に留まるとは思うけれど。でもpodcastとか作った経験がたくさんあって慣れていれば、 次にまたpodcastで喋る事があるか?と考える時の敷居の高さには影響は与えるとは思うんだよなぁ。

発信に慣れる、というのは国語教育に期待したい能力のような気もするが、、、どうなんだろう。 それは国語とは別のなにかなのかもしれない。 でも別段書きたい物も言いたい事も無い、といってtwitterでRTだけするのは、なにかは失敗していると思うのだよなぁ。 それは国語では無いのだろうか?国語で無いならなにかあるのだろうか?教育の範疇外?うーん。

ただ、言葉の細かい間違いを指摘するのが国語の主な任務という訳では無いと思うのだよなぁ。 間違わないようにするのは期待される物の一つかもしれないが、 自分の意見を発信するのも期待される物じゃないのかなぁ。 ブログも別に書く事無いしpodcastも別に喋る事無いしyoutubeも別に撮りたい動画とか無い、 でもTwitter上で他人の言葉の間違いは指摘します、は、目指すものでは無いと思うのだよなぁ。 でもそれは国語という問題では無いのかなぁ。うーん、わからん。

インターネットと言えば、動画からの情報流入が増えたので、英語ではリスニングの重要度が上がったと思う。 では国語では、リスニングって勉強しなくて良いのだろうか? CourseraとかedXで生物の授業とか受けていると、15分くらいの動画を聞いてちゃんと内容を消化するのはある種の訓練が必要な気もするのだが、 日本語でそういうのってやった記憶が無い。 英語だとTOIECとかTOEFLってそういう問題があるよな。

音を聞き取るという点においては不自由は無いので、母国語にはそこは違いがあるかもしれない。 でも一定の長さになるとちゃんと理解するには個々の文を聞き取る以上のなにかを要求されるよな。 一文一文を聞き取るのとそれが全体の中でどういう意味なのかというのはちょっとギャップがあるし、 自分が動画を止めたり戻したりして何度も見なきゃいけないのはその辺がうまく出来ていないからだと思う。 聞いて理解する能力は個人差はあると思うが、練習すればある程度は向上する気もする。 国語ではそういうのはやらないよな。 その他の科目の授業がまさにそういう訓練になっている、という気もするが、 ただやらせていれば良くなる、というのもどうなんだろう。 正しく読む訓練は国語の授業でやるのに、正しく聞くのはやらないのはそういうものなのかしら?

余談だが、インターネットの上では国語的な物を感じる一番の例は、Amazonとかのレビューだったりもする。 レビューは凄く国語能力というものが出るので、 ああいうのをちゃんと書くのは国語に期待される事な気がするな。 最近は授業でそういう演習とかやったりするのかしら?