生物の教科書を読んでいると、メンデルとかからの重要な実験について説明がある。 何をやって、どういうデータが得られて、どう解釈するのか、とか。 それらは、それぞれの時代の重要な問題についての仮説を建てたり検証したりする流れで行われた事だ。

ゲノムとかの話って突然ゲノムが遺伝情報をコーディングしているという前提から始まるけど、 生物という観点からすれば遺伝というものがあって、 その性質を調べて、遺伝子という考えが出てきて、それが染色体にあると判明して… と数々の重要な発見があって、決して核酸がコーディングしているというのは自明な事では無い。 そういう結論にたどり着くまでの経緯というのをちゃんと学ぶ、というのは、 生物学を勉強しているな、という気分になる。

考えてみると、物理でもそういうのって学んだよな。 量子力学を学ぶ時でも相対論を学ぶ時でも、 どういう現象が観測されてどういう要請があったのか、 理論を構築した時にはどういう予言があって、どういう風にそれを確認したのか。 そういうのをいちいち学んでいたし、いくつかの実験は学部の頃に実際にやった。 理論を学ぶ人間も、そういう事を学ぶのは大切な事だ、というのは広いコンセンサスがあった気がする。

なんで実験の歴史を学ぶというのは大切なのだろう?

現代の問題も、結局同じように仮説を建てて実験で確認をする事で前に進む訳で、 同じ事をしなくてはいけない訳だよな。 でも実験はだいたいどう確認したらいいかさっぱり分からないような難しい問題を、 なんかいろんな工夫とこれまでの進歩した技術とかを使って頑張ってうまいやり方を考える訳だよな。 そういう時に、過去にどうやって困難な観測を実現したか、というのはヒントになるという事なんだろう。

また、現時点で考えられている事がどうしてそう考えられているのか、という経緯を知らないと、 それを覆すような仮説を建てられない、というのも、現在の考えに至るまでの道を学ぶ理由になっている気がする。 これまで考えられていた事が覆されて修正が必要になる事は繰り返し起きていたし、今後も起きていく。 そういう時に、何を修正すべきかを考える時には、それぞれがどうやってそう考えられるに至ったか、を知っておく方が良いのだろうな。

そうした大切さをちゃんと理解しているからこそ、突然ゲノム解析とかCovid-19のワクチンの論文を読んだりせずに、 そこに至るまでの歴史とか実験の工夫とか手法とかを学んでいくのだろうな。