緊急事態宣言が延長された時に、弁当も飽きてきたので新しい弁当屋とかを開拓しようとしていたら、高齢者向け配食サービスのポスターが貼ってあるのを見かける。 見ていたら、中の人にパンフを渡される。どうも配食のふれ愛という所らしい。 これを導入してみたら素晴らしく良かった上にいろいろ考えさせられた、という話。

システム

一食500円で弁当が送られてくる。最初に曜日と昼、夕のどれかを指定すると、毎週送られてくる、という仕組みで、 欲しい時に頼むような柔軟性は無い(前日までに頼めばキャンセルは出来るらしい)。 何故か日曜日だけは指定出来ずおやすみの模様。 祝日とかは平気。 なんか安すぎる気がするんだが…

高齢者向けというが、別に年齢制限は無いとのことなので、導入してみた。

自分は祝日含め、月〜土の昼、夕をすべて頼む事にした。

すると、毎日9:00〜10:00あたりに弁当を二つ持ってきてくれる。 弁当の容器は翌日届けに来た時にわたすと回収していってくれる。

夕飯は冷蔵庫で保存しておく。昼も夕もレンジで温めて食べる。できたての弁当を食べるよりは味気ないが、冷凍よりはずっと良く、総合的には自分は弁当屋の弁当よりもずっと良いと思っている(後述)。

現状は導入して10日くらい経った。 最初は弁当が届くだけなので、弁当を買いに行く手間が無い、程度に思っていたが、弁当を買いに行くよりも凄く便利だ、と気づいてきたので、その辺の事を書いてみたい。

家庭で食事が出てくるかのよう

配食サービスを導入してみて思った事の一つに、家庭で食事が出てくるのに凄く似ている、という事がある。

まず、メニューを考えない。毎日勝手に出てくる。 しかもそれが、一食一食独立していない。全体で栄養バランスが取れるようになっている。 弁当とかを買っている場合は自分で昼はXXXを食べたから夕はYYYYを食べよう、とかバランスを考えて選ばなくてはいけないが、 これが勝手に選ばれる。 弁当では意外とバランスを取るのが難しいが、配食サービスではいい感じのメニューが毎日出てきて、一週間で見るとバランスが取れているなぁ、と思う。

また、個々の食事も明らかに家庭料理的というか、素朴な味付けになっていて、弁当屋の弁当とも大分違う。揚げ物とかが無い。 また、品目も多い。日常的に頼むなら弁当屋の弁当より明らかに良い。何故これが配送も含めて500円なのだろう? 高齢者向けとなっているが、それこそがまさに自分の求めていた物だ、と気づく。煮物美味しい… 高齢者に嗜好が似ているのは高齢者に近づいているからだ、という事にも気づいたが…(´・ω・`)

凄く豪華というほどでは無いが、ちゃんと料理しないと作れない物がちょこちょこあって、男の雑な自炊ではあまり食べる機会の無い物が日常的に出てくる。 その辺も家庭料理という感じがする。 家庭によってはいつもこれより豪華な食事の家もあるだろうが、平均よりは良いんじゃないかなぁ。 家庭でこれだけの食事を毎回用意するのは大変と思う。

あと、勝手に来る所が子供の頃の食事を思い出す。

メニューが勝手に決まる事

メニューを考えなくて良い、というのは、体験してみると結構これまでと変わると感じた。 まずこれまで、栄養バランスをとるのに結構毎回苦労していたんだなぁ、というのが分かる。 配食サービス導入後は、まったく自分は考えてないのに、これまでよりも明らかに栄養バランスが取れていて、すごく気分が良い。 うんうん、ちゃんとバランス取ってるぜ、という気分になる。

また、毎日だいたい問題無いカロリーの食事が届くので、量で悩む事も無い。 これだけは食べても良いし、逆にこれで足りない時は我慢しなくてはいけない、という事が明確に分かる。 自炊だとどうしても多く食べすぎてしまったり、逆にダイエットではカロリーが足りてないような食事になってしまったりして、 コンスタントに一定量食べ続ける、というのが意外と出来ていなかった事が分かる。 決まった量が勝手に出てくると、その辺を考えなくて良いので油断して太る事も無いし、我慢しすぎる事も無い。 カロリーは低めだけどそれなりにしっかりした物なので、我慢している感じじゃないのに自然と体重が維持出来る。 これは良い。

もちろん運動は必要なのでそれは気をつけるようになったが、それは後述。

これだけ安く提供出来るのは、たぶん同じものを大量に作るからだと思うんだよな。それはメニューが一種類な事から来ていて、 でも受ける側は毎日それが変わるので別に問題無い。 弁当屋は来る人間ごとに前の食事で何を食べたかが違うので、こういうシステムは出来ない。 配食サービスには配食サービスでないと実現出来ない事があるんだなぁ、と実感した。

家からとくにかく出なくなる

食事が毎日届いてしまうので、まず受け取る必要があるから午前中は家に居る。毎日家に居るので出かける事が無くなる。 毎日問答無用で届いてしまう、という帰結を良く考えていなかったが、完全に他で食事をしなくなるという事で、そうすると家から出ないのが都合が良い。 だから全然出なくなる。

また、食事が届いてしまうので、買い物の頻度が著しく減った。 朝食以外は買う必要が無い。 朝食はシリアルを買いだめて、あと粉ミルクなので、毎週、配食サービスの無い日曜日に弁当を買いにいくついでに買う。 週一回買い物にいくだけで、他は一切家から出ない。

微妙に足りない時などは、Amazonで箱で買った果物を消費している。

あと、ゴミが出なくなる。 料理はしない訳だし、容器は回収されていくので、本当に全然ゴミが出ない。 ゴミ出しの重要度が下がるので、ますます外に出ない。

結果として、週に一日、日曜日しか外にほとんどでなくなった。ゴミ捨てなどで1分程度出る事はあるが、ほんとにその程度。

コロナで外出を自粛せい、と言われていた所でこのシステムは最強だなぁ、と思った。我慢するとかじゃなくて自然に出なくなる。

特にこれから花粉症の季節なので、こんなに外に出なくて生きていけるのか、というのは可能性を感じる。 花粉の季節に全然外に出ずに生活すると、どの程度辛いんだろうか?

あと、外に出なくなったからか、リビングに意味も無くいく事が増えた。 現在自分は個室型のシェアハウスに住んでいるのでリビングは共有で広い。飯時以外はだいたい誰も居ないが。 で、窓も大きいので、気分転換に窓から外を眺めるためにリビングにいく事がちょくちょくある。 オフィスを歩くのに似た気晴らしになっているのかもしれない。

運動的な話

さすがにあまりにも外に出なくなったので、運動は意識するようになった。 散歩などは出てもいいはずだが、これから花粉症の季節なので、あえて全く出ないで家の中でどうにかするように考えている。

今の所はこれまで同様、スクワットと腹筋ローラーを主体にしている。 ただ、これまでは一日おきくらいだったのだけれど、 腹筋が回復してない時は腕立てに変えて、とにかくスクワットは毎日するようにした。

これまではどちらかといえば腹筋を鍛えるのが本命だったのだが、今はスクワットを重視している。 スクワットは回数も増やした。これまで10回3セットだったが、10回以上で疲れるまで、みたいな感じに変えた。 15〜17回くらいが多い気がする。 歩かなくなったので、有酸素運動を何か入れたいなぁ、と思っているのだが、 今の所スクワットの回数を増やす、という結論になっている。 もっと気軽に出来るのがあったら教えてほしい所だが。 室内チャリ欲しいなぁ、とも思うが、さすがに邪魔だよなぁ。

外に出なくなる代わりにスクワットの回数を増やす、というのは結構良い気がする。 むしろ散歩しているよりもちゃんと運動出来ている感じがあるし、体重も落ちている。 体重は食事の都合もあるかもしれないが。

自由度の低さについて思う事

食事が毎日届いてしまう、というのは、完全に毎日家で食事を取る事が決定づけられてしまう。 仕事していてコロナ下で花粉の季節という現状ではこれはかえって素晴らしい事なのだけれど、普段なら不便だな、とは思う。 さすがにこれはやりすぎだろう。

在宅で仕事をするにしても、隔日くらいにして、友達と食事に出る時には翌日に回す、くらいの自由度は確保する方がいいだろうなぁ。

逆に毎日二食にしてしまうと、完全に外に出なくなって、これは対コロナ対策、対花粉対策としては最強だな、と思う。 ニュースとか一切関係なく、一切のストレス無く、ただ外にまったく出なくなる。

食事に外に出るのは気晴らし的な面や楽しさもあるというのは前から分かっていた事だが、 一方でなかなか良いのが無い時にはそれなりにストレスというかデメリットもあるというのはこれまで過小評価していた気がする。 それらが両方無くなってみると思ってたほど悪くなくて、認知的不協和に歪まされていた部分もあるんだなぁ、と自覚した。

家庭の意義について考えてしまう

配食サービスというのが500円という低価格でこれだけのサービスを提供しているのは、家庭という事について少し考えてしまうものがあった。 自分は独身で家庭など持つ気は無いのだが、それが強化された。

これまで、家庭を持っても、いつも食事が何もしないで出てくるのは昭和的な古い価値観でけしからん、という意見にそれなりに同意していた。 家事は女性がやるもの、という古い考えの結果だと。

だが、配食サービスは別に誰かを犠牲にする事なく、飯が出てくる。しかもかなりしっかりした物が出てくる。自分が専業主夫になったとしてもこれだけの食事をコンスタントに用意する事は無いだろうな、と思ってしまう。 それが手伝ったり感謝しなくても勝手に出てくる。 しかもそれがたった500円である。

そういう訳で、飯が待ってるだけで出てくるというのは実は大した事無い話であって、500円で解決すれば良い事だったのでは無いか?という気がして来ている。 自分で作ると大変なので大変な事だと思っていたが、システムを整えるとたった500円で提供出来る何かだった、という事にそれなりのショックを受けている。

また、この配送されてくる弁当を、あまり他人と食べたいという気はしない。何故かは分からないが、これは1人で食べてる方が気楽でいいなぁ、という感じがする。 そういう訳で家庭を持って配食サービスに頼るのは難しい気もしている。 これは独身の時代来たな!という意識をますます高めてしまった。

家庭で食事を作るという事の価値が500円だった、というのは、なんか知ってはいけない事を知ってしまったんじゃないか、という謎の罪悪感がある。

もちろん食事がすべてでは無いというのはまったくもってその通りなのだけれど、 自分は家庭という事と食事というのは結構大きなつながりを持って考えていたんだなぁ、と、切り離されたサービスを体験してみて初めて自覚した。 また、それが500円だった事から、家庭の料理というものに実際よりも大きな価値を置いていたのかもしれない、と考えさせられた。 自分の持ってない物の価値を過大評価していたというか。

いやぁ、もうこれ完全に独身で配食サービスの時代でしょ。家事を分け合ってやってるとかマジ情弱。 そうした結論に変な罪悪感を持つ時代は平成で終わったな。