年末年始の暇つぶしとして、この前思いついたシンボリックなツリーライブラリを書いてみている。 ただ仕事の方ではすでに実装が終わってしまっている所なのでこのライブラリは使う予定も無く、 考えた事が本当に実現出来るのかな?と思ってやってみているだけだ。 完成までやるかどうかもわからないし、公開するかも分からない。

仕事をしていると、今やっている仕事は楽しい、と思い込もうとするバイアスがかかると思う。 だから仕事が楽しいと感じている時はあまりそういう感覚は信じないようにはしている。 もちろんどちらにせよやる気なら楽しいと思っている方がいいので、そういう時に無理に否定するという訳では無いのだけれど。 長期的な事とか、このまま続けていいのかとか考える時とか、一歩離れて(このポストのように)一般論的な事を考える時だけの話。

でも、最初に言った、仕事のオフに、仕事で実装していた物の別実装を、使いもしないのにやっている、というのは、 仕事で書いているコードを楽しいと思っている証拠では無かろうか、と思うのだった。 仕事と同じ事を休日にもう一回やるって、職業全般で見ればまぁまぁ珍しいと思うのだよね。 普段やっている事が、それだけ楽しい事だと思ってやっている訳で。 そういう仕事はプログラム以外にもあるとは思うけれど、多数派では無い気がする。

仕事が、金のインセンティブ一切関係なく楽しいというのは、 内発的動機づけという奴だよな。 内発的動機づけって言葉はそんなに珍しくもないけど、こう客観的に明らかになる状況ってそんなに無い気もする。

プログラムの仕事っていろんなのがあるので、みんながみんなそういう内発的動機づけのあるような仕事でも無いし、 休日にこうやって同じ実装を(別のアイデアで)やってみる事なんて全く無い仕事もある。 一方で、休日にブログのシステムを構築するとかは結構ある気もする。 最近のcloud functionとかそういうのを使ってみたり、新しいcssとかクライアントサイド周りのライブラリなどを使ってみたりとか、 そういうのって技術を触ってみたい的な内発的動機づけでやってる部分が多いよな。 仕事そのままでは無くても全く関連が無い訳でも無い、という場合も多い気はする。

プログラムの仕事にそういう内発的動機づけが割と純粋に出るような側面があるる、というのは、もう少し広く知られても良いのでは無いか。 何故かプログラムというとデスマでIT土方で大変だ、という一面だけがやけに知られすぎているような。 プログラムの仕事っていろいろなものがあって、全然内発的動機が無い奴もあればそういうものがすごく強く出る物もある。 なのに悪い側面だけがただ一つの真実として受け止められているのはいびつで不自然だ。 まぁあまり内発的動機とかを前面に押し出すのはブラック企業が無垢な若者を騙すのに利用したりしてよろしくないと思うけれど。

なんにせよ、現在楽しい仕事が出来ている、というのは良い話だな。良かった良かった。