菊田さんがJasper による(データ分析系)タスクの作業ログ管理で、 リモートワークにおける作業ログの重要性みたいな話をしていて、おっしゃるとおりだなぁ、と思った。またこういう実際自分らはどうやってるか、みたいな話は読んでて面白いのでみんなも書いてほしい気がする。 自分は、podcastの以下の回プログラム雑談: 第110回 ドキュメントの話(ちょっと長いです…)の序盤でそんな話を一応はしている。

普段の作業を見える形で残しておいて、他の人は見たい人が見る、というのが正しい形とは思っていて、菊田さんのブログもそういう形でやっているという話に思う。 それは前から思ってた事なのだが、リモートワークが増えた結果よりそういうスタイルの重要性が増した、というのは確かになぁ、と思った。 これまでのコミュニケーションをツールで再現するのは無理なので、スタイルを変えて作業ログを共有する事で代替とする、というのは説得力もある気がする。

なぜ作業ログがリモート向きなのか

オフィスで皆が顔をあわせていた時には、日々の雑談という形で、その時仲間が何をやっているのか、 とか、どういう事に困っているのか、とか、そういう事を共有していた。 ソフトウェア開発のような複雑なアクティビティでは、週一の定例ミーティングなどでは結局相手が何をやっているのか、とかは分からない。 もうちょっと重要な事だけに要約されていない、余分に思えるような情報や確信が持てず間違っているかもしれない情報が、 相手のやっている事をふわっと理解させる。 それがひいては仲間というものへの関心につながり、チームという物を成立させていた気がする。

リモートにおいては、そうした余分で正しいかも分からないふわっとした情報は、 意識して見える形にしようとしないと全く見えなくなってしまう。 だから何らかの手段で意識的に見えるようにした方が良い。

そうした時に作業ログというのは良い代替に思える。 作業ログはその時にやっている事や考えている事が書かれる。 ミーティングなどの為に整理したり要約する事で落ちてしまう事、途中の考え違いなどが、ちゃんと作業ログには残る。 そうした正しいかどうかも曖昧で、報告に必要かどうかも曖昧な余分な情報がちゃんと残る。 それを見える形にしておくのは、かつての雑談の代替としてリモート時代に良い気がする。

日々やっている事をちゃんと整理して第三者にもわかりやすように書くのはコストがかかるので、そんな事を日々やるのは無駄が多い。 だから整理せず、必要な事だけ書くとかもせず、だらだらとやってる事を記述していく。これならほとんどコストは掛からない。

一方でそうした作業ログは、余分な情報を多く含み、整理されていないフリーな書き方で書かれているものなので、読む側は読みにくく、無駄も多い。 だからこそ読む側にフィルタリングをさせる方が良い。 多くのノイズを含む情報を低コストに垂れ流して、読む側がそれを取捨選択する。 それはtwitterなどで成功したリモートでのコミュニケーションのやり方でもある。

そういう点ではslackの分報なども近いものだが、slackは後から概要を把握するのにはいまいちなんだよなぁ。 無いよりはある方が良いんだが、作業ログをissueとかwikiとか社内ブログとかそういうので共有する方が良いかもしれない。 まぁ使うツールはおいとこう。

なんにせよ、作業ログはオフィスで働いていた時にも重要な物だったと思うが、リモートになってより重要度が増した情報記録の形態に思う。