時代の象徴、という物はあるよなぁ、という話。

各時代の象徴。例えば… スト2ダッシュとかバーチャの2.1とかPSPのモンハン2nd Gとか、そういう物だ。 その時代の熱が一番高まり、その次に出た物を見る事でそれがもう帰って来ない事を知るような、そういう時代の象徴の一つ。 そこの時代ではそれを超える物は生まれない、と確信出来て、あとから思い返す時に時代と同一視される何か。 あぁ、これはたぶん今しか無いんだろうな、と思うような感覚。

たまに「これが時代の到達点だ」と思ったあとにそれを超える物が出てくる事はある。 超えなくても、別の到達点が生まれる事はある。 ただどちらもめったに無い。 それより良い物が出ない、というよりも、 一度その時代の到達点と思うような物に出会うと、受け取る側が慣れてしまって同じ衝撃を受けなくなっちゃう、 という話に思う。

時代、という事を感じるには、一緒に楽しむ人が必要なのだろう。 感想を話し合ったり、勧めてくれたり、そういうの。 皆がそこに居てそれが生まれた瞬間の熱狂に一緒に居る、その感覚がその場に居る人たちの心に時代を刻み込む。

本好きの下剋上は傑作で、無職転生と並んで今の時代の象徴となる物だと思う。 今年一番、とかそういうレベルでは無くて、インターネットを通して資格も何も無くただ一番面白い物だけが集められる、という、オープンで誰もが発信者になれるという時代の象徴であり、到達点だと思う。

テキストのインターネットが辿り着いた終着点。 読めば誰でも「あぁ、これはいままでの人類には作れなかった物だな」という事が分かる。 商業的にやっていたら第一部で終わっていて単なる駄作になってしまうような、納得が行くまでの詰め込み。 膨大な母数をつぎ込むと本当に端っこの外れの所に稀に生まれる、特異なサンプルが生み出した物。 インターネットが人を集める事でようやく可能となった、人には本来到達出来ないはずの、純度の結晶。

きっともっと良い物が出てきても、もうこれだけの衝撃を受ける事は出来ない気がする。 だからこの方向性では、この二作が到達点になるのだろうなぁ、という予感がする。

web日記、2ch、ブログ、Wiki、、、いろいろな所を経由して辿り着いた小説家になろう、という形態と、 その果てに辿り着いた境地。

この時代で本好きの下剋上の熱狂に参加出来て良かった。