コンテンツ的なエンターテインメント性
お絵描きのアカウントとかは、らくがきがちょっとかわいく描けるようになって楽しい〜、といっぱいらくがきを描いてるくらいが、見ていて一番楽しい。
見ていて楽しい、というのは重要な価値だと思う。 インターネットという世界を楽しい物にする事に貢献しているのだ。 これはもっと重く評価すべき項目なんじゃないか。
絵が上手くなって、一枚あたりの絵にかかる時間が増えてくると、見ていてもそんな楽しくなくなる。 楽しくないという点では、楽しく落描きをしているだけのアカウントの方がずっと優れていると思う。 絵の実力とか一枚の生み出される絵の良し悪しとは別に、日々のコンテンツとしての価値では初期のらくがき楽しい〜、にはなかなか勝てない。 そして自分のらくがきに「こんな事繰り返してもなんにもならない」と思うようになってしまった人は、もうこの「らくがき楽しい〜」にはコンテンツとしての楽しさでは勝てない気がする。
この失われてしまった物の大きさを過小評価しすぎじゃないか。 もっと敬意と憧れを持つべきなのに、かつて自分が通った場所なので今の自分より劣ると考えがちでは無いか。 いや、自分はらくがき楽しい〜までたどり着いたことも無いので自分の話じゃなくて想像で語ってるが。
彼らに自分達のやってる事の価値を伝えてあげたい気がするが、お前あんま上手くなくて良いね!とか言うのはめちゃくちゃ失礼なので言いづらい。 実際ある程度は上手くないとらくがき楽しいと思える所まで行かないし見てても楽しくないので、実際は結講上手いんだが。 お絵描きはインターネット上の平均のレベルが高すぎるからこの辺をうまく言うの難しい。
ただ更新頻度ってコンテンツ的には凄く大切で、youtuberとかは凄く意識してるよね。お絵描きではその辺は軽視されがちな気がする。 もっと更新頻度の力を重視する必要はある気がする。
プログラマも似ている部分はある気がする。 学生とかは、何も知らないのでいろいろ夢いっぱい語ったり活動したり出来る。 一方でプログラマとしての知識も増えてきて、自分の力の無さとかにも慣れてくると、あまり表での面白い活動とかが無くなって、見ていても面白くなくなる。
コンテンツとしての価値としては、「マイクロカーネルでオブジェクト指向なまったく新しいOSを作ります!」とか言って良く分かってもいないWindowsをディスってる人の方が、飯と深夜アニメの話しかしなくなったプログラマよりはずっと上だ。
別に他人にウケたい訳じゃない、という話もある。 実際そうだと思う。 でもそれは、裏返すとコンテンツとしての価値を軽視してる、という事だとも思う。
自分はインターネットを楽しい物にしていく、というのは結講大切な活動なんじゃないか、と最近は思う事が多い。 twitterでたくさんRTされる事に価値があるとは思わないが、見ていて面白い、と思うコンテンツを提供していくのは、インターネットという物を大切にするなら必要な事な気がする。
プログラマとしての実力とは別に、プログラマのコンテンツとしての価値というのもあるよなぁ。 そしてwebやインターネットを大切にするなら、そういうのをもっと重視する必要がある気がする。 別にメントスコーラやれ、とかそういう事じゃないが、プログラマの書く物、発する言葉として面白い物を世の中に増やしていくって大切だよなぁ。
最近プログラマがポッドキャストやったりするのは、結講良い気がする。 たくさん聞く事は出来ないので数は絞る事になるが、それもまた良い。 コンテンツとしての面白さという点ではポッドキャストはなかなか良いよな。
ギターのレッスン動画とか最近は良く見るが、これも面白い物とそうでない物がある。 そしてそれは、ギターの実力とはまた違う物に思う。
なんか「おぉ!俺もギター弾くぜ!」って思わせるかどうかの違いというか、「うぉぉ、俺もこうなりたいぜ!」と思わせられるかどうかとか。
動画としての面白さとかはギタリストとしてはそんな価値は無いかもしれないが、自分にとってはギタリストの価値よりはレッスン動画の良さの方が大切に思う。
最近やってるC言語のプログラム解説みたいなのは、結講コンテンツとしての面白さはある気がする。 分量が多いし地味だから読む人は限られるだろうが、その限られた人にはとても面白く読んでもらえるんじゃないか。
動画もレッスン動画みたいにプログラム関連の解説動画とか増やせたらいいね。 インターネットに面白い物を増やしていく事を、自分も手伝っていきたいと思う。