中川さんが、Wolfman Alphaを絶賛してて、もう計算なんて自分で出来なくてもいいんじゃないか、みたいな事を言っていた。

例えば何かの式を微分して、その微分した結果で何かしたい、という時に、間の式変形をスキップして意味的な事に集中出来れば、考えられる範囲はずっと広がる事になる。 そうして解けるようになる問題の中には大切な物はきっとあるので、人類としては積極的にそうしたソフトウェアは使っていくべきだろう。

で、このツールは途中式とか使う公式を割と分かりやすく示してくれるので、 自分で計算する事は出来ないが、何をしているかは理解は出来る、という事になる。

ツールが無いと微分出来なくなったら良くないだろうか?そんな事は無いと思う。 異世界に転生した時は困るだろうが、そんなの真剣に心配する事もあるまい。 PCが無いと計算出来なくなっても、PCがあれば良い。 サービス依存度が高くなりすぎると問題もあるだろうが、それはまた別の問題だろう。

一方で計算には理解する為にやる計算もある。こうした事の必要性は別段低下しない。 これは少し難しい問題を含んでる。 というのは何が必要で何が要らないかは、あらかじめは分からない事が多い。

さらに問題をややこしくするのは、この手の必要な事が混ざってる事をこれまで大量に手でやってきた人は、その必要な量を過大評価しがちな事だ。

例えば黒板を手書きでノートに写すと理解が深まるとか本当にくだらない。 そんなのは人に依るし、また必要な所と要らない所がある。 記録に残す事の方が大切な方がずっと多い。 だからパシャリで片がつくことを手書きでノートをとるとか本当にくだらない。

一方で何かが理解出来ない時にノートにまとめるのが良い手段な事はある。 これまでは黒板を写す過程で自然に学べた事に、接する機会を失ってしまっている場合はある。

だから新しい技術がこれまでの何かを要らなくした時には、その中に埋まってる依然として重要な物を取り出して、知ってる人が知らない人に伝える必要があるんじゃないか。 ただ、だいたいにおいて元のやり方は無駄の方が遥かに多いので、新しい技術を所与として新しい何かを開発する必要があるよな。

ではWolfman Alphaを前提とした時に、取り出すべきエッセンスとはなんだろうか? たぶん定義を理解する為の周辺の計算と、式の意味を理解する為の周辺の計算が残ると思うのだが。

例えば可測関数とか測度とかというのが何か、という事を理解するには、普通は計算がいる。

数学の大抵の定義は、定義に必要な事はすべて書いてあるが、それだけでは普通は定義の意味が理解出来ない。 そこで定義に従っていろいろな計算をする事で、定義を理解する訳だ。 これは割とシチュエーション自体はわかりやすいと思う。 定義が理解出来ない時に計算をする、これがまず取り出すべきエッセンスの一つだろう。

また、一つ上の数学を理解するのに、一つ下での経験が必要な物がある。 例えば連続とかをちゃんとやらずに位相に進んでも意味が分からない。 こういう時に、一つ下をちゃんと経験しておく必要がある。 何かが分からない時に、一つ手前に戻って計算する必要がある場合がある。

この時に何を計算しておくべきかは考え直さないといけない事だろうなぁ。 計算が途中式込みで得られる時、位相を理解する為に必要な訓練とはなんだろうね。何かはあるだろうが、良く分からないな。

式の意味を理解するのに計算が要る場合がある。 機械学習とかでありがちなのはこれやね。 シグマとかの添字の意味を理解する。 こういうのが分からない時は周辺の計算で分かる事がある。

こういうのは式をちゃんと記述出来れば理解出来てる事になるので、 ツールがかなり進歩しても解くツールで理解を助けるのは難しいだろう。理解を助ける為のツールが要るが、それは今の所存在しなさそうなのでまだ考えなくて良かろう。

こうして考えてみると、結構難しいな。 もっとこうツールを前提とした練習方法を確立しないといけないよな。