理解というのは人それぞれなので、理解した事を説明しようとすれば、それぞれの言葉になる、と思う。

けれど、例えばRNNなどで検索すると、凄く同じ説明がqiitaやブログに大量に行われているのを見る事になる。

これはRNNに限らず、例えばPowerShellの説明などでもずっと見られた事だ。 lsした結果のファイルなどもオブジェクトなんですよ、と皆が同じ事を言う。 他にもいろいろ話すべき事はあると思うのに、皆同じ事しか言わない。 それを言った最初の文書も少し探せば見つかり、「あぁ、みんなこれをコピペしてるのか」と分かる。(もちろん本当にコピペしてる訳じゃなくて全く同じ内容の事をタイプしなおしているのだろうけれど)。

他にもそういう例はたくさんある。 これまで、何度か皆が同じ説明しかしないのに腹を立てて自分で説明した、という事はあるし、それをすると結構多くの人に読まれて反響もあった。 そしてその後、自分の説明も新たなコピペの元となっていった。

さて、何かを説明する時に、何故皆同じ説明をコピペするのだろう?
中には、オリジナルの説明は幾つかの文脈の結果そう行われていて、ブログで単独で抜き出すには不適切な場合もコピペして不適切な説明になってたりする。 既存研究との差分しか説明しない論文からの説明を持ってくる場合に、この現象は顕著である。

解説を書く人はちゃんと理解してないのに分かってるふりをするからだ、そしてちゃんと分かってる人は面倒がって解説を書かないからだ、とずっと思っていたのだが、そうとも限らないか、と思ったのがこのエントリを書き始めたきっかけ。

先日「理解したからといって、それを自分の言葉で説明出来るとは限らない」と友人から言われた。 その時はあまり深く考えなかったが、考えてみるとそれはありえる気がする。 というのは、解説している人がそんなに理解してない人ばかりとも思いづらいからだ。

理解をしているからといって、それを自分の言葉で説明出来るとは限らないのだろうか。 これには幾つかの可能性が考えられる。

  1. 自分の言葉でそもそも説明が出来ない
  2. 自分の言葉で説明すると間違えそうで怖いから嫌だ
  3. 自分の言葉で説明すると意味不明な説明が出来上がる

個人的には2か3なんじゃないかなぁ、と思ってしまうが、1という可能性も全くありえないとは限らないよな。

自分は割と自分の理解を説明すると、オリジナリティの強い説明になる方だと思う。 冒頭でも述べた通り、それは当然の事とも思っている。

だが、もし既存の説明をコピペする人達が皆1であるとすると、自分の「自分の理解を自分なりの言葉で説明する」というのは、才能である可能性も出て来る。 自分は新たな解説を紡ぎ出す、という、珍しい才能を持った男なのだろうか?

一方で、皆コピペしている人が3である場合。 自分は自分の解説の拙さに気付かないだけの、ただの愚か者である可能性が出てくる。 そうでないと信じたいが、これは自分では判断が難しいな。

2とかの場合は、単に自分が恥知らずというか豪胆というか、肝が座ってるだけという事になる。 これは一番ありそうかなぁ。

なんとなくいつも自分より分かってない人に説明ばかりしていると、自身の成長の無い頭弱い人っぽくて嫌だなぁ、と思っているのだけれど、もし1だったら、意外と自分は自分の言葉でいろいろ説明するのが世のためであるのかもしれないなぁ。そう思って実は3だったら目も当てられないが。